たまゆら日記 (1999.09)

秋刀魚の味 1999年09月29日 00時30分

仕事から帰ると、親父が秋刀魚を焼いていた。

DIYの店で七輪を買ってきて以来、秋刀魚を焼くのは親父の楽しみのひとつになっているようだ。この間、弟夫婦と甥っ子(1歳である。親父からすれば初孫ですな)が来た時、さっそく七輪で大量の煙を出しながら焼いて食べさせていた。これが、ガスで焼いたのと風味がちょっと違って意外とおいしいんである。たまにしか来ない弟も、うまいと言って食べている。家族から好評だったのと、魚好きの甥っ子が飯も食わずに秋刀魚だけうまそうに食うもんだから、気を良くしたらしい。

しかし、今日はどうも様子が違う。

いつものようにトイレからうちの中に入ると(うちはトイレに出入口がある)、いきなり妹の文句を言う声が聞こえてきた。なんだ、と思って廊下に出ると、その理由はすぐにわかった。煙が家の中に充満しているのである。秋刀魚の焼けるにおいが猛烈に鼻を突く。裏口を出たところで親父が秋刀魚を焼いていたのだが、風向きが悪く、焼いた煙が全部家の中に入ってきていたのだ。

やがて焼きあがった秋刀魚を肴に晩酌のビールを飲みながら、俺と母親がちらりと文句を言うと、

「秋刀魚の脂がほうぼうについたから、いま掃除すればきれいになる」

とわかったようなわからないようなことを言って、ごまかしていた。

秋刀魚はあいかわらずうまかったが、親父はちとさみしそうだった。

いまも自分の部屋を一歩出ると、生臭い魚のにおいが家の中に充満している。

そういえば、今日、僕は秋刀魚を食べても一度も「うまい」と言わなかったことに気がついた。

親父のさみしそうな顔を思い浮かべると、秋刀魚の味についてもなんか言ってやれば良かったかな、と思った。

「がんばれ」 1999年09月28日 18時14分

「がんばれ」という言葉は、実はあまり好きでない。

人に向って「がんばれ」というのは、個人的には大きなお世話だと思う。

だいたい、そういうこと言いたくなるような人って、もう既にがんばってる人だしね。

そんなこと言われたって、

「お前もがんばれよ」とか、

「お前ががんばれよ」とか、

「今がんばってるよ」とか、

「普通がんばるだろ」とか、

言いたくなっちゃう。


それでも、励ましたくなるようなことってある。

応援している気持ちを伝えるのに他に言葉を持たないのがもどかしい。

それでも、とにかく言っておく。

「がんばれ」と。

西村修選手 1999年09月28日 14時41分

昨日もちょっとだけ触れたけど、新日本プロレスの西村修選手のことだ。

今発売中の週刊プロレス別冊「kampfer」の表紙にこのような見出しが書いてある。

衝撃告白!!

「ボクはガンです」

西村修、インドにて

西村選手がガンだというのは業界では公然の秘密だったらしい。

欠場はもう1年以上にもなる。理由は内臓疾患としか発表されていない。

僕もどうしたのかな、とは思っていたし、ネットの掲示板で「ガンだ」という噂を聞いたこともあった。

以前、週刊ファイトがすっぱ抜いたことがあったのだが、まさか本当だとは思わなかった。

それが、本人の口から語られている。

かなりショックだった。


西村選手に個人的な思い入れはあまり深くない。

ただ、デビューからずっと見てきた選手でもあるし、晩年のアントニオ猪木を思わせるリング上の佇まいや、見掛けは派手だが余韻を残さない最近のプロレスに背を向け、わりと地味目の技にこだわった試合運びなど、すごく好感を持っていた。

今の新日本プロレスを見て、「なんか違うなあ」と思ってしまう旧世代ファンとしては期待せずにはおれない選手なのである。


昨年9月に手術をした後、抗がん剤や放射線治療を「プロレスができない体になる」と拒否し、あえて東洋医学に活路を求めた。

再発の可能性は30―40%。

術後1年から1年半がもっとも危ないらしい。

まだ予断を許す状況ではない。

それでも彼はプロレスラーとして再起を目指すそうだ。

その姿勢は、リングの上の彼の頑固さとも重なって映る。


西村選手、もう一度リングに上がる日を僕は待っています。

だから、がんばれ。生きろ。

本屋の仕事(反省文) 1999年09月28日 01時12分

仕事が終わり、週刊プロレスの増刊(因縁のクラッシュギャルズ対決!)を買うために別の書店に行った。

残念ながらその雑誌はなかったが、週プロ別冊「kampfer」があったので、手に取る。

(西村修選手、癌と闘病中、とのこと。これについてはまた書く)

週プロ本誌以外はうちの店には入らないのである。チェーン店で全国展開していて、一見大きな本屋に見えるのだが、うちの店は雑誌の品揃えが薄い。ダメダメである。

いつもの習慣で店の中をうろつく。昔からどこの本屋に行っても中をひととおり見ないと気がすまない。自分が本屋に勤め出してからは余計に他の店の品揃えが気になるようになった。「うまく並べてあるなあ」とか、「担当者、わかってねえなあ」とか勝手に評価するのである。いいところは参考にさせてもらおうかな、という気持ちもある。

趣味と実益といった感じで、これはこれで楽しい。


今日も適当に見ていたのだが、新書の棚で夢枕獏の本を見つけてしまった。

『月に呼ばれて海より如来る』という本である。(廣済堂出版、800円)

この本は1987年にハードカバーで出版されており、僕も当然(そう、当然)読んだ。

作者がこだわりを持つ、”螺旋”という形象をモチーフに「宇宙とは何か?」を物語ろうという意図を持った物語である。とてもおもしろかった。その時出たのは現代を描いた第一部であり、第二部(過去)、第三部(未来)と続く予定だとあとがきに書いてあったので、非常に楽しみにしていたのだが、今に至るまで続編は書かれていない。(同アイデアで未来世界を書いた『混沌の城』というのもあるのだが、やはりあれは別の話だ、と俺は思う)

だから最初は、ようやく新書になったのか、ぐらいの気持ちで手にとって見たのだが、あとがきを読んでびっくり、新書版用のあとがきが追加されてるのもポイント高かったが、なんとこの本には書きかけで本にならなかった第二部の冒頭部が収録されてるというじゃありませんか。

これは買わないわけにはいかない。速攻でレジに持って行き、「kampfer」とともに買った。


で、仕事の話。

他店で自分が知らない新刊本を見たときは複雑な気持ちだ。

それが自分が追っかけている作家だったりすると、さらにダメージが大きい。

自分の知識が実際の販売活動に追い付いていないということだからである。

私は店の立ち上げからバイトで入って、ほとんどろくな書籍販売の指導も受けずに自分でノウハウを確立しながらやってきた。が、最近そのやり方にも限界を感じていたところだった。

無力感というか、虚脱感というか、マイナスの感情が、いま仕事中の私にまとわりついている。

一言でいうと、なんかうまくいかねえなあ、ってことだ。

じゃあ、なにをやればいいのかっていう話。わかってはいるんだ。要するに、


フェア等の期間販売商品のスケジュール管理の徹底、

新刊本の発売日チェックと売れ筋の事前把握、それにタイミングを合わせた発注活動、


と、書いてみれば至極当たり前のことである。普通するだろ、ってくらいのことである。

ただ、今までは忙しくてやってる暇がなかったのでなおざりにしていたのがこの部分だった。

チェーン店なので、基本的な配本は全部本社がやってくれる。

だからといって、自分はバイトという気楽な立場にあぐらをかいていただけなのだろうか。

(こういう思考はネガティブな感情の発露となる

自分がマイナス思考の坂道を転げ落ちていくのがよくわかる。

暗黒の無限ループ。

が。

しかし。

いつまでも考えていたってしようがない。break文を挿入しよう)

夢枕獏の新刊を見たことで、自分の甘さを指摘されたような気がした。

そう、このままではいけないのである。

日常生活の問題点は文章化してみるとポイントが把握できてよい。反省文も書いてみるものだ。

明日から、うまく時間をやりくりして発売情報とかチェックしよう。

できるだろうか。いや、やるのである。

(ただ、最大の問題点はこんなに働いても時給が730円、ということだ。労働の内容と賃金との間に私は海よりも深い断絶を見る。ま、楽しいからいいんだけどよ)


あ、いけね。明日は休みだった。

追悼・光瀬龍 1999年09月26日 01時30分

今月号の「SFマガジン」で、光瀬龍の追悼特集が組まれてた。

氏は今年の7月7日、食道ガンのために71歳で逝去された。

謹んでご冥福をお祈りする。


氏(”シ”みたいだ)の作品では、『百億の昼と千億の夜』がとても好きだ。

もっとも、一番最初に読んだのは、萩尾望都の描いた漫画版だった。

中2の夏に読んだそれは、めまいがするほど強烈な衝撃を俺にもたらした。

思春期にありがちの虚無感と、作品中に現れていた無常感が激しく共振したんだと思う。

あまりに感銘を受けたので、夏休みの宿題の漢字の書取りで、

本当は教科書の漢字を書かなきゃいけなかったんだけど、

漫画の中に出てくる漢字を最初から全部書き写してしまったりした。

とにかく夏休みの間、暇さえあれば何十回と読み返した。

今に至るまで、俺が最も影響を受けた作品のうちのひとつである。


その後、小説を読んでまた感銘を受け、結局、この小説と

夢枕獏の影響で、俺は大学で仏教を勉強することになるのだった。

東洋大学朝霞校舎の図書館で、「摩尼宝楼閣一切ゆがゆぎ経」を

大正新修大蔵経の中に捜しまくった日々も今となってはなつかしい。

(見つからなかった。あれはやはり作者の創作なんだろうな)

2000年は問題か? 1999年09月24日 22時51分

昨日テレビのニュースを見ていたら、東京ディズニーランドに西暦2000年までの時間をカウントダウンする時計が登場したそうだ。頭の数字が”1”から”2”になるのがうれしいのだろうか、他にも2000年がらみでいろいろ盛り上がってるみたいだ。紅白歌合戦も年をまたいで放送するらしいしな。そんなで盛り上がるのはいいんだが、なんか、2000年の次の年、21世紀の最初の年である2001年の立場が、弱くなってるような気がする


俺なんかSF野郎だから、思い入れは2001年の方が強いわけよ。

なんたってSF史に燦然たる「2001年宇宙の旅」。映画も見たし、小説も読んだ。改訳された改訂版も読んだ。HALはまだ開発されていないけど、ディスカバリー号が木星に飛んだあの2001年を自分が生きるなんて嘘みたい。すごいよ。今まで虚構の中にしか存在しなかった「21世紀」がすぐそこまで来てるんだぜええ。2000年ごときで盛り上がってどうするか!

いかん、書いてるうちに興奮してきた。


で、俺は俺なりのこだわりを形で示そうと思って、TOPページで2001年へのカウントダウンを始めました。みんなが2000年に走るなら、俺が2001年を独占させてもらいます、ってなもんだ。ささやかすぎるほどささやかな形ですけどな。

JavaScriptって初めて書いた。

ほとんど参考書丸写し、教授にばれたら落第って感じなんだけど、その参考書のサンプルも間違ってやんの。けっこう苦労した。プログラマー辞めてからこういうことするのは久しぶりだ。新しいことやるのっておもしろい。


でも、きっと2001年の時も、2000年の時と同じように盛り上がるんだろうね。なんだかんだ理由をつけて。その時は、できれば2000年の時とは趣向を変えた盛り上がり方をして欲しいな。おんなじこと繰り返したんじゃおもしろくない。それこそディスカバリー号を打ち上げるくらいの派手なことしてくれないかなあ。

(いや、2001年記念のイベントとしてスペースシャトル・ディスカバリー号の打ち上げくらいなら、アメリカは大々的にやるに違いない)


更新状況 1999年09月23日 21時56分

プロフィールの内容を書き換えてみました。

あと、カウンターを変えてみました。どうですか。見にくいですかね。

あいかわらず、TOPに来るたびに+1しちゃうんですけどね。なんでじゃ。


ジュビロは今日も勝てなかった。

2ndステージ勝ち越しはならず。なんとかならんのか。

盛り上がってきました、橋本vs小川 1999年09月23日 21時17分

今日発売の週刊プロレスを読みますと、遂に、遂に、遂に!

新日本プロレスのリングに猪木・小川のUFO師弟コンビが登場したようですな。

新日・PRIDE・リングスと襲撃を繰り返してきたUFOが、

とうとうファースト・コンタクト、ファースト・インパクトの地へと舞い戻ってきたのだ。

新日vsUFOのイデオロギー闘争のゴングが再び鳴った。

ストロングスタイルの体現者・アントニオ猪木の突き付けたこの闘争に、

現在の腑抜けた新日はどう応えるのだろうか。


と、ガチガチに書きましたが、個人的にはとにかく試合をやってくれるだけでうれしい。

お膳立てのここまで整った試合というのも近来珍しく、

どう転んでもおもしろくならないわけがない。

個人的には、どうしてもプロレスラー橋本に注目してしまうのだが、

新日襲撃後、確実にその存在感を増してきた小川もやはりただ者ではないのである。

ああ、見てぇー―――!!

(ちょうどその日は祭りの後片付けの日に当たりまして、

それに出ないと「八分になるぞ」と友人に言われたんで、無理だろうなあ。

あ、八分ってのは村八分のことね)

『がんばっていきまっしょい』(小説) 1999年09月22日 17時44分

『がんばっていきまっしょい』(マガジンハウス・1262円)を読んだ。敷村良子の小説である。

映画に感動したのでその原作が読んでみたくなり、自分の勤めている本屋で注文したものだ。ちなみに第四回坊ちゃん文学賞というのを受賞しているらしい。

映画とストーリーはちょっと違うのだが、こちらもよかった。200ページを一気に読んでしまった。前向きに何かに打ち込むのっていいなあ、と、前向きに何かに打ち込んだことのない僕は思う。映画の感想の所で、軽い嫉妬もある、と書いたが、本を読んでその理由がよくわかった。憧れとひがみだね。自分ができなかったことを相手がしている、またはなんで自分はこうじゃなかったのかな、ということに対する。いまだにこんな感情が芽生えてしまうところが、まだ自分があの頃に対する怨念を捨てていないみたいで、自分でちょっと恥ずかしかった。

小説自体もおもしろかったが、映画の中で使ってた言葉、特にボートの専門用語がわかったのもよかった。例えば、オールを漕ぐのをやめる時、コックスが言う言葉がある。映画だと「イージョ」としか聞こえなかったが、実は「イージー・オール」だった。何語だろう? と真剣に悩んでたんで、ものすごく納得がいった。こういうのは気分がいい。


気に入ったセリフを挙げてみる。

ボートを漕げなくなり落ち込む主人公に対する、幼なじみの言葉である。

「俺は、できんことを数えて嘆くより、できることを見つけてわくわくしたほうがええと思う」

自分がこの本を注文した時、自分の分の他にもう1冊頼んだ。その本は棚に並べた。売れてくれないかな、とひそかに期待している。自分と同じ感動を共有してくれる人がいる、というのも、またうれしいことじゃないかな、と思う。

『ロングロングケーキ』 1999年09月22日 16時45分

『ロングロングケーキ』(白泉社文庫・581円)を読んだ。大島弓子のマンガである。

この人のマンガは『綿の国星』がとても好きで、文庫で初めて読んで以来、新しいの(復刊も含め)が出るたびに読んでいる。

大島弓子の話って、なんかこわくない? 俺だけかな。理由はうまく言えないんだけど。

人を見る視線が醒めてるっつーかさ。繊細できれいな絵柄なのに、書いてあることが冷徹に現実的だったりするし。

この本の中では、「秋日子かく語りき」と「庭は緑川はブルー」がおもしろかった。

ホームページはむつかしい 1999年09月20日 22時32分

えー、背景の色がいろいろ変わってお騒がせしております。(え、知らなかった? さみしー!)

ようやく落ち着きました。しばらくの間はこのままいくと思います。


魔法使いに作ってもらったホームページなので、全然凝ってないのは我ながらしょうがないんですが、それでも自分好みに変化をつけたいと思うのもまた人情というものでして。

とすると、簡単に変えられるのが色使いくらいだった、という話だったんですな、これが。

それで、まあ、自分の好きな色を試してみてたわけです。

ほんとは、今の色に決まるひとつ前にとても好きな色があったんです。それで決定かな、と思ってました。それが、ある解説書を読んだところ、プラットホームが違うと自分の思った色が表示されないことがあり、それを避けるためにはそれぞれのカラーパレットに共通する色を使ったほうがいい、ということが書かれていました。

困りました。僕は前にいた会社でSEをやってまして、(PCの仕事はしたことないんですが)その時身についた習性として、”汎用性”には妙なこだわりを持たざるを得ないというか。だから、他の機械で見たら違って見えるかもしれない、というのはできれば避けたい事態です。

いい色なのになあ、とか惜しがりつつも、結局、共通色の中から選び、思いきって今の色に変えました。変えてみれば、これもなかなかいい感じ。気に入りましたんで、自分としてはけっこう満足しました。


皆さんがご覧になると、かなりマズイ点もあると思うんで、そういうところは指摘してもらえるとうれしいです。

今度はもっと大幅に模様替えしたいなあ、と思っとります。

『がんばっていきまっしょい』 1999年09月19日 21時01分

人んちの掲示板にも書いたんですが、『がんばっていきまっしょい』という映画がすばらしいんですよ。

四国・松山の高校を舞台に、女子ボート部を作って奮闘する女子高生たちの話なんです。

登場人物のひたむきさがねぇ、とにかく真っ直ぐでいいんですわ。努力、友情、恋愛、挫折、など、共感する人、多いんじゃないかと思う。俺もそうでした。

(共感つっても、あくまで想像なんですけどな。俺の高校時代なんて、あんなにいいもんじゃなかったですから。高校時代と書いて暗黒時代と読むって感じで、そこらへん軽い嫉妬も交じってたりして。俺もあんな青春が欲しいぜ、って、おいおい現在形かい)


また、淡々とした映像の背後に流れるリーチェの音楽もいいです。劇中で「オギヨディオラ」って曲がかかるんですが、凝り固まった感情をほぐして流し去ってくれるような、ゆったりした感じがとても気持ちがいい。僕はこの歌を聞くと、いまだに反射的に涙が出そうになります。


感動するっていうよりは、胸が温かくなると言った方が、この映画にはふさわしいかもしれない。見る人にちょっとだけ元気を与えてくれるような、そんな作品です。


興味を持った方は、ぜひ一度ご覧ください。

SFはどこへ? 1999年09月16日 23時58分

なんか、プロレスの話ばっかりだな。

最初の予定では、もっと最近読んだSFの感想とか、インターネット古本屋で、ずっと探してた神林長平の『言壷』を見つけた話とか書こうと思ってたんだけどなあ。

考えてみれば、実は僕にとってSFというジャンルは、もうどうでもいいものなのかもしれない。自分の好みに一番近いのがSFというジャンルなんだろうが、そのジャンル自体へのこだわりがいまはもうない。おもしろい小説は読みたいが、それが別にSFでなくてもかまわない、と最近は思う。SFが冬の時代だろうが、俺の知ったこっちゃねえ、って話だ。

「しょせんそれまでの関係なのよ、あなたとはもう終わったの。」

しかし、そう言いながらも、未練はたっぷり残ってたりするところが人の心の綾ってもんだな。ご用心ご用心。


ま、そのうちSFもやってみようと思います。

そして私は依然としてテクノポリスに住み続けるのであった。

<橋本vs小川>再戦決定記念 1.4東京ドーム大会感想集 1999年09月16日 19時01分

決まった!

10月11日、新日本プロレス東京ドーム大会で橋本真也vs小川直也の再戦が行われる。

思えば、1月4日の東京ドーム。

ルールを無視した小川(元柔道世界王者)の襲撃に、橋本は手も足も出なかった。完膚なきまでに叩き潰された。新年早々起こってしまったマット界を震撼させる大事件、その衝撃は凄まじかった。

新日とUFOが一時期完全に絶縁していたため、もう再戦は見られないのか、橋本はこのままでいいんか!?、と不満たらたらだったけど、まさに急転直下、トップロープからの雪崩式ツームストンパイルドライバー(よい子はマネしちゃだめだオ)もかくやの展開である。

こうじゃなくちゃいけないよねえ。

藤波新社長もいいことしてくれました。「スキャンダルを商売にできないやつは経営者失格だ」という猪木イズムをさっそく発揮したんですかな。感謝感謝。

あんまりうれしいんで、それを記念して、因縁の1月4日新日本プロレス東京ドーム大会の感想文をここにUPしときます。

誰かに言いたくて言いたくて、知人へのメールに書いた文章です。


いやあ、小川vs橋本、面白かったです。小川、強いっスねー。

でも、ああいうことやられて、何もできなかった橋本がダメだったってことじゃないですかね。終わったあとに「そっちがそのつもりなら・・・」なんていっても遅すぎるっスよ。前田を見習ってほしいです。

最初から前回のような試合しか考えてなかったんでしょうけど。

それが「はっきり言って、甘い、甘すぎる」(藤波調)って感じです。

これは新日のリングに久々に現れた「イデオロギー闘争」だと思います。

もちろん、新日vsUFOの。(ということは、vs猪木、ということです)

堕落したストロングスタイルの復活なるか!?

プロレスラーが、自分のリングで、醜態をさらしたままでいいのか!?

プロレスラーは強くなければいけないんじゃないのか!?

というあたりを、次で見せてほしいなあ、と思います。

(もっとも、「勝負」だったら次はないっスけどね。「わたしだったら腹切りますよ」by山本小鉄)

え、大仁田?

そんなひともいましたね。どうでもいいです。


新日の闘強導夢、俺もTVで見たよ。

大仁田の試合だが、あれは佐々木が悪い。

どう考えても、ラリアットからのサソリ固めで1分で試合なんか終わるのに、何で彼はプロレスをやってしまうのか。

はっきり言って甘い。甘すぎる。(藤波調)

あの試合の結果を踏まえて、これからも大仁田は新日に上がりつづけるのだろうが、それより重要なのは、橋本VS小川戦だ。

小川、強い。

顔面パンチありのルールでやったら、新日のレスラーは誰もかなわないんじゃないか。

それぐらいの衝撃があった。

どう見ても、あれは橋本の負けだね。言い訳なんてできないよ。

この調子で、小川には最強ロードを歩んでいってほしいものだ。

やっぱ、U.F.Oサイコー。

アントニオ猪木万歳。


プロレスのことを語り出すととまらなくなってしまう。

僕がプロレスの良し悪しを判断するときの基準は、「凄さ」である。

勝ち負けとは別に、自分の考えた展開をはるかに超えるものを見せられてしまったときに、「すすす凄げぇ」と驚嘆する。

小川VS橋本における、小川の強烈な強さなんてのは、そのものズバリだったわけだ。

橋本が試合のあとになんかごちゃごちゃ言ってたが、負けてから言っても遅すぎる。

最初からそういう覚悟で試合に臨んでいなかったということで、二重の意味で橋本の負けだ。

ノールールの試合はつまり果し合いであり、「試合」でなく「勝負」である。

命がかかっているのである。勝負に二度目などないと知れ。

異種格闘技戦のとき、試合の後で文句をつけてくるのは、むかしは負けた異種格闘技のほうだった。

その立場に、いまプロレス側が立たされている。

これではプロレスが強いということを、見る側に納得させられないだろう、と思う。

大仁田の試合でも、佐々木の潰し方が、あくまでプロレスの枠内なのだ。

しかも、あの試合において、見る側に衝撃を与えたのは、あくまでも大仁田のあの攻撃だった。

そして、佐々木は大仁田という存在を潰すのに失敗したのである。

大仁田のやることは、俺からすればことごとくスケールが小さく思えて不快なのだが、はっきりいって、プロレスに卑怯もくそもない。そんなことをいってたら、アントニオ猪木なんて卑怯の総元締めである。

要はやったもん勝ちの世界、衝撃を残した奴がえらいのである。

いまの新日は、その一線を超えられないレスラーばかりだと思う。

そこに俺の考える「凄さ」はない。(たまに橋本が見せるけどね)

「甘い、甘すぎる」(再び藤波調で)


<おまけ:テレビ朝日の辻義就への怒り>

辻アナウンサーがワールドプロレスリングを卒業するんだってさ。

やれめでたや。

いやー、どんなにこの日を待ったことか!!

筆舌に尽くしがたいほどうれしい。

彼の実況には、とうとう最後までプロレスやプロレスラーへの尊敬の念が感じられなかった。実況する対象を見下したような発言しかしないんだよな。それがとても不愉快だった。どうやら彼にとって、プロレスというのは特別な存在ではなかったらしい。

本人が盛り上がればあがるほど、見てるこっちの興奮が冷めてくんだもん。最悪。

週刊誌によればテレ朝を退社してフリーになるって話だったけど、プロレス実況からは撤退するがテレ朝には残るといううわさもある。

とにかく、辻でなければとりあえず誰でもいいわ。

(注:結局、彼氏は退社しねーどころかいまだにプロレス実況に携わり、そのダメっぷりをTVの前の我々にさらしまくってる。最悪)

過去に書いた文章をUPしました。 1999年09月15日 22時15分

プロレス関係の文章をUPしました。

Yahoo!のプロレス掲示板に書いたりしてたやつです。ホントはもっと膨大な量を書いたんですが、保存していなかったためトピックの消滅とともに消えてしまいました。

諸行無常は世の習いですから、もったいながってる暇があったら、新しいのを書けばええんじゃ! という意気込みで、これからも書いていこうと思います。


それにしても、ジュビロは勝てないなあ。

このごろこんなことを考えている 1999.04.30 1999年09月15日 21時49分

昔、プロレスといえば「最強」の代名詞だった。少なくとも、僕はそう信じていた。いつ頃だろうか、その神話が崩れ始めたのは・・・。


プロレスが最強でなくなって、ファンの態度ははっきりと二つに分かれた。

一つは、「プロレスは八百長、シューティング・パンクラスなどの格闘技こそ本物」という人たち。

もう一つは、「プロレスに強弱は関係ない。エンターテイメントでいいんじゃないの」という人たち。

プロレスが抱えていた「格闘性」と「娯楽性」をくっつける求心力はなくなった。

強さを求める人たちは格闘技へ。

おもしろさを求める人たちはエンターテイメントへ。

はい、さようなら、だ。

団体側も「強さ」という衣装を脱ぎ捨てて、割りきってるように見えるんだよなあ。

僕のように強くておもしろかったプロレスが好きな人には大変生きにくい時代だ。


はっきり言って、プロレスが最強、というのは嘘である。

だいたい、何が一番強いか、なんて客観的な検証ができるわけもない。

では、なんでそのように言われてきたのか、と考えてみれば。

それは、アントニオ猪木がそのように見えるリアリティをプロレスに与えてきたからだ、と思う。 「本当に」強いかどうか、はとりあえず判断停止だ。だが、猪木は確かに強かった。そのように見えた。その猪木の「強さ」こそが、プロレスが最強、という幻想・ファンタジーを支えていたリアリティだった。

「最強」というのは嘘・ファンタジーである。でも、そのファンタジーを支えるリアリティを獲得した時にだけ、それは見る側に説得力を与えるのじゃないだろうか。(と夢枕獏が言ってました)技術的なシミュレーションでは見えてこない世界。

見る側からすれば、真実というのはどうでもよい。というか、知りようもない。

だから、プロレスを見た後に、この試合が自分にとって、または自分の思うプロレスにとってどういう意味を持つのか、ということを確認するのである。自分にとっての物語に変換するのである。自分なりのリアリティを試合から拾い上げて行くのである。

そういう意味で僕はプロレスを読んでいる。小説を読んだ時とか、映画を見た時とかと同じだ。さらに言えば、別の格闘技を見た時も同じだ。

真実、ではなく、解釈、なのである。(解釈でしか世界は表現できないのではないか。真実は解釈者を抜きにして真実たり得るのか。そも、それは真実と言えるのか)

格闘技とか、エンターテイメントとか、そんな区別こそが片腹痛い。

強くておもしろい、つまり「凄い」試合だったら、僕的にはなんでもありだ。

個人的に言えば「凄さ」に、強さ、というのは必要条件ではあるが、その強さの中に「魂」というか「覚悟」が見えないといかん、と思う。やる時はやってやるぞ、みたいな。単に技術の優劣ではなく、その人間の持っているパワーの総量が優劣を決める、というか。

これから先、プロレスというジャンルが「最強」というファンタジーを構成するリアリティを再び獲得できるかどうかは怪しい、と思う。だが、プロレスが「凄い」という衣装を取り戻すための闘いは現在も続行中である。(猪木によってね)

そう思えない人は、

「プロレスなんて八百長さ、格闘技こそ本物さ」とか、

「プロレスに勝ち負けなんて関係ないよ」とか、

一生言ってなさい。

『プロレス、至近距離の真実』感想 1999.05.13 1999年09月15日 21時40分

ミスター高橋の『プロレス、至近距離の真実』を読みました。

たしかに、ミスター高橋でなければ知りえないような話が書いてあっておもしろかったです。が、それ以上にあきれた、というか、ガックリきたこともありました。

マシン軍団について触れている個所で、客からはなぜレスラーが入れ替わってるのがわからないのかと言われることもあるけれど、あれは盛り上げるためにわざとやっていた、というようなことが書いてありました。でも、本人からわざわざ聞くまでもなく、見てればそんなのわかるっつーの。

だから僕は、それを茶番だと思ってました。盛り上がるどころか、つまんないと思ってましたし、はっきり言ってしらけてました。で、いまさらそんなつまんない事を重大な秘密でも打ち明けるように書いてあった事で、さらにしらけたというか。


その頃って、新日の人気が衰え始め、プロレス冬の時代なんて言われ始めてました。

思えば、猪木の肉体が衰え、その絶対性が崩れた時に、プロレスが冬になったんですねえ。

猪木の強さに惹かれてみてた僕なんかは、猪木が強かった頃なら気にもならなかったはずのそんなわざとらしさが、鼻についてしょうがなかったんですよ。

ミスター高橋はその一例ですが、なんか、ファンと新日との間に意識のすれ違いのようなものがありましたよね。(いまもか?)

時代的にはそのあと、新日よりもさらにストロングなUWFが新日に戻ってきて、僕はすっかりUWFに転んでしまうことになるんです。

ガチンコについて考えてみました 1999.05.04 1999年09月15日 21時37分

レスラーの談話とか、本を読んだりして考えたのですが、なんとなくまとまりましたので書きます。

「試合中の余計な装飾を廃し、勝ち負けのみにこだわった試合」というのが「ガチンコ」かな、というのが結論でした。なんか当たり前のことですが。

で、「余計な装飾」というのが、団体によって解釈が違ってるから、それぞれに団体別の自称「ガチンコ」があるんじゃないでしょうか。いわゆる「プロレス」も、いわゆる「格闘技」も、ね。全日ファンが全日の試合をガチンコだと言うのもうなずけますし、他の団体のファンの人も支持する団体の試合をガチンコと言って褒め称えるのも不思議じゃない、という気もしてきました。その団体なりに「真剣」にやってれば、みんな「ガチンコ」と言えちゃうんじゃないでしょうか。個人的には、だから、「ガチンコ」という言葉は全然誉め言葉には感じられないです。

あと、プロフェッショナルというのは、勝ち負けとは別に凄いもの見せてナンボ、という商売なんじゃないでしょうか。勝ち負けだけを競うのはアマチュアですよね。(勝ち負けが重要ではない、という意味ではありません)「勝ち負けとは別に」「余計な修飾」をどこまでやるか、というプロとしての葛藤というのもあるかな、と思いますね。

そういえば、シューティングという競技の元になった「シュート」という言葉の使われ方も、上記のような意味合いだったと思います。

これでいいのか 1999年09月14日 12時27分

なんとか自分のホームページらしきものが持てた。

ウィザードを使ったのでけっこう安直にできたが、貧弱さは隠せないなあ。

おまけに、日記の書き方がわからなくて、いろいろ捜してしまった。わかりにくいったらありゃしない。

なんにしても、自由に意見を発表する場があるのはいいことだ。

学生時代、サークルの連絡ノートに毎日毎日よしなしごとを書き散らし、日記職人と呼ばれた(呼ばれてねぇか)血が騒ぐってもんだ。

ぼちぼちとやってきますか。


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