たまゆら日記(2000.01)

「出動!」「ラジャ!!」 2000年01月31日 23時12分

そうそう落ち込んでばかりもいられない。


3月4日(土)、久々に上京することにした。

目的は、ゼロックス・スーパーカップ。

Jリーグ年間王者と天皇杯優勝者とが国立競技場で激突するこの試合に、Jリーグ年間王者としてジュビロ磐田が堂々出場するのである。

対戦相手は昨シーズン後半から絶好調の名古屋グランパス。ハジェブスキー新監督を迎え、(たぶん)新システムで臨むジュビロとしては、2000年のJリーグの覇権を占う意味でも、非常に興味深い試合だ。

俺はサッカーをライブで観戦するようになってほぼ半年になるが、まだジュビロ磐田スタジアム以外でサッカーを見たことがない。で、いっぺん国立でサッカーが見たいのと、地元以外でのジュビロの勇姿が見たいのと、なんとなく東京に行きたくなったのが重なって、上京する気になったんである。東京進出はおととしユーミンのコンサートを代々木第1体育館に見に行って以来なのだぜ。ゲッチュ!


チケットはすでにローソンで手に入れた。

チケット発売日当日に仕事帰りに買ったんである。3000円と安い席だがなんと前から3列目が取れてしまった。どちらのチームも地方のチームではあるが、そんなに売れ行きは悪いのかね。だからこそ地元の俺がわざわざ出向く、という気持ちになったということはあるんだが、なんか淋しいぞ。

あと気になるのは、国立競技場ってコートの周りを陸上競技用のトラックが取り巻いていて観客席が遠くなっているだけに、あまり前の方の席では試合の展開が見にくいんじゃないんだろうか、ということだ。発売開始から7時間後に買ってまさかこんなに前の席になるとは思わなかったので、安い席を取ったことをちょっと後悔している。ホーム以外の試合なので、なるべく応援団が陣取るゴール裏に近い席の方がホームの雰囲気が味わえるかな、と思ったのだが、どうかなあ。もともと値段にこだわりはなかったので、全体が見やすいバックスタンド中央の席を素直に取ればよかったかも。


まあ、とにかく俺としてはジュビロの試合を見られればいいんであるので、細かいことは後から後悔することにしよう。(もっとも前にする後悔はないんである)

気持ちも体調も服装も万全の準備をして望む覚悟でいるのであるよ。ふっふっふ。

待ってろよ、国立!

ダウナー 2000年01月30日 22時56分

All play and no work makes Jack a dull boy.


という言葉が頭から離れない。

掲示板 Part2 で『シャイニング』の話が出たんで思い出したんだが、この言葉の意味を逆手に取った映画のあの場面とジャック・ニコルソンはものすごくこわかった。

時々仕事中にジャック・ニコルソン化しそうになる自分がいる。なんでこうイライラするかな。この世は頭痛の種でいっぱいだ。

別のアメリカン・ドラマふうに言えば、「マクギーくん、僕を怒らすなよ」って感じ。でないと「とんでもないことになるぞ」。


きっと疲れているんだろう。こういう時、コンピュータみたいに思考をリセットできればいいのに、と思う。

僕には休息が必要な気がする。

こんな感じ 2000年01月29日 22時46分

俺がこの前インストールしたネットスケープのブラウザは、Netscape Navigator じゃなくて Netscape Communicator4.7 だった。なにこれ? NNと何が違うの? ネットスケープのブラウザがNNの他にもあるとは知らなんだ。「ネスケ」って言ったらそれは Netscape Navigator のことじゃないの? 違うの? あ、そう。

素人くさい間違いである。とても「週刊アスキー」を毎週買っている人間とは思えない。え、それがすでに素人くさいって? たぁしかに。


本屋の店員vsお子様(対話編)

今日も今日とて、講談社のテレビ絵本だの小学館のウルトラマン絵本だのを満載した什器の前で、地べたにちょこんと腰を下ろし3歳くらいの男の子が絵本を座り読みしていた。もちろん絵本も地べたにベタリと押し付けられている。

「ぼく、ご本を床に置くと汚れちゃうから、むこうのテーブルで読もうね。わかった?」

男の子はこくんとうなずくと、そのままの体勢で絵本を読みつづけたのであった。

・・・こンのクソガキが!

「影武者」 2000年01月28日 23時29分

黒澤明の「影武者」を見た。

この映画は、子どもの頃テレビで一度見たことがある。その時はつまんない、と思った記憶があったので、どうかなあと思って見たんだが、いや、おもしろかった。ガキの時はわからなかった、登場人物の感情の動きとかがわかるようになったからかなあ、と思う。

途中、合戦のシーンなどは長くて冗長だな、とも思ったが、それぞれのシーンをまるで一枚の絵のように構図や色彩にこだわりまくったこの映画にしてみれば、あの冗長さもそのこだわりゆえと許容できた。行進してくる武田の軍列が陣地で整列するまでを延々ワンカットでやっちゃったりするんだよな。そういう意味ではものすごい贅沢な映画だったんじゃないか。黒澤明にとっては。好き勝手やってるぜ、ってのが逆に見ている俺も気持ちよかった。

娯楽作、というほどの痛快さはないが、人間模様をよく描いたおもしろい映画であると思う。


残念なのは、主役が仲代達也だったことである。いや、もちろん演技にケチつけるつもりはないし、けなす余地なんてないほど映画の中では素晴らしかったとは思うが、なんというか、この人は武田信玄とその影武者を演じるには上品過ぎるような気がした。もともと、勝新太郎が演じるはずだった役である。仲代達也には、勝新が演じていればはまり役だったであろうその下品さというか下司な雰囲気というのが感じられない。それが、最初のシーンで登場人物を見たときに違和感を感じさせる部分だったんである。途中から全く気にならなくなったんで、声を大にしていうことじゃないんだけど、それだけはちょっと惜しいと思った。

(もっといえば、三船がやればさらにハマっただろう。「蜘蛛巣城」の城主のように)


ちなみに、映画中盤に登場してきた、徳川と武田が奪い合った高天神城。さっき冗長と書いた合戦シーンはここのところを指しているんだが、これが、俺の住んでいる町のとなり、静岡県小笠郡大東町という町にあるんである。戦国時代には「高天神を制するものは遠州を制す」と言われた戦略上の要衝だったらしい。

俺は小学校の遠足で歩いて行ったことがある。そこでクラス対抗の陣取り合戦なんかやったような記憶があるが、そのころはそんなことは露知らずであった。今行けば駐車場もあってプチ観光地化されているはずである。もっとも城址が残っているだけで、城そのものはないけどね。

大東町と言えば、日本酒「開運」の蔵元である土井酒造が使っている仕込み水は、この高天神城の湧水だそうだ。「高天神」っていう銘柄の酒もつくっている。

「開運」を買いに行ったついでに、小学校以来もう一度行ってみようかな、と、そんなことを思った。

続・ブラウズと修正の日々 2000年01月26日 23時03分

前回の続きである。


テキストを箇条書きで表現する <UL> </UL> と <OL> </OL> というHTMLタグを使用している箇所で起こる表示の不具合の修正をしようと、今日1日でいろいろと試してみた。現象としては、このタグを使用した箇所から画面的に下の日記が、ページ内に指定した左右の余白を無視して文章を表示してしまうってやつである。2つのファイルで同じ現象が起きていることから、たぶんタグが原因であることは間違いないと俺は思っていた。


最初にやったのは、このタグを取ってしまうことだった。このタグが不具合の原因ならば、その記述を削除してしまえば問題ないはずである。で、やってみたところが、直らない。現象はそのままである。タグが原因じゃないってことなのか? 俺の目論みはあっさりとはずれ、これでもう途方にくれてしまった。

皆目原因の見当がつかない。念のため、その前後で使ってはいけない文字がないかどうか調べてみたんだが、それもなさそうだ。機種依存文字や2バイト半角文字を使った時に不具合が発生することもある、というのは目にしたことがある。だが、それも発見できなかった。


原因の見当がつかないのだから仕方がない。では、この不具合を直す方法はないだろうか、という方向に頭を切り換えてみた。

タグがあろうとなかろうと、本来ははみ出ないはずの空白部に文章が表示されてしまうのだから、ならば、そのはみ出た文章から後を、再びスタイルシートで左右の空白を指定してみたらどうだろうか。かなり出たとこ任せな発想で、自分の考えとはいえ原因もはっきりしないままこんなことをするのははっきりいって気が乗らなかった。が、ものは試しとやってみたら、これがうまくいっちゃうんだから世の中はわからない。

こうしておけば、前の部分であのタグを使ってあってもノー問題である。結果オーライだ。だがしかし、解決したというのにこの胸のモヤモヤはなんだろう。俺的にものすごく納得がいかんぞ。うー。


今日ホームページの修理にあたって思ったこと。


1.

1行空白とか、左右のマージン指定とかを、スタイルシートやHTMLタグを使用して行う場合、かなり長い文章に対して最初と最後にタグで囲っておしまい、というのは危険かもしれない。今回の場合も <P> がどうも臭う。というのは、上記の修正が終わった後、今度は実線が左右のマージンを超えて表示されてしまうという現象が起こったんだが、これが他の部分との絡みもあって最初と最後の <P> を削除したところ、いきなりこちらの指定どおり表示されるようになったからである。直接の原因がこれなのかどうかはわからない。しかし、安全性という面からもわかりやすいソースを記述するという意味からも、スタイルの指定はファイル内の文章塊ごとにやった方がよさそうである。


2.

Internet Explorer 5 はけっこうHTMLの表示がいいかげんである。いや、いい意味では融通がきくというか、間違ったタグの使い方をしていても、それなりに表示してくれているのがわかった。 例えば、<P> と </P> を組み合わせるのが正しい使い方である。ところが、俺の日記内に </P> で始まり同じく </P> で締めてる箇所があったんである。完全に誤記であるが、それでもIEは問題なく表示してくれていた。

これが Netscape Navigator だとこうはいかない。画面で確認すれば、やはり表示はおかしくなっているんである。

それぞれの仕様もあるので、一概にどちらがいいとかはいえない問題ではある。やはり、ホームページの動作確認は複数のブラウザで行うのがいいのかもしれない。特に、ホームページ作成ソフトを使わずに、自分でこせこせとHTMLを記述している俺のような人間は。


勉強になりました。

ブラウズと修正の日々 2000年01月25日 01時13分

Netscape Navigator 4.6 (NN)を俺のパソコンにインストールした。

俺はいつもホームページをブラウズするときは Internet Explorer 5 (IE)を利用しているのだが、自分のホームページが他のブラウザで見たときに俺の意図した通りに表示されているかを確かめようと思ったのだ。


ホームページは、HTML (Hyper Text Markup Language) という言語で記述されている。で、これが困ったことに、OSの種類(Windows とか Mac OS とか)や、ブラウザの種類(IEとかNNとか)やバージョンによって、必ずしも作成者の意図どおりに表示してくれないんである。それはOSやブラウザのバグの場合もあるし、単にその機能に対応していなかった、なんていうこともある。もしかすると、表示の際になんらかの不具合が起こることも考えられるのである。

よくホームページの端っこの方に、

”Internet Explorer 3.0 以上推奨”

とか、

”Internet Explorer 4.0 , Netscape Navigator 4.0 で動作確認しています。”

なんて書いてあるのは、そういう意味があるんですな。


俺のホームページについて心配だったのは、2001年までの時間をカウントダウン表示させている JavaScript である。これの記述はかなり長く、メインページのHTMLファイルの中身がとても見にくくなった。いろいろ弄るときにうざったいことこの上ない。それで、そのスクリプト部分だけ別ファイルにしてメインページから呼び出す形にする、という画面上には現れない修正をしたんである。

(解説書を読んでいて発見した技術である。新しい技術を見ると使ってみたくてしようがないんだよなあ)

IEでは問題なく表示されているのだが、NNではどうだろうか、という懸念があった。もともと JavaScript 部分に関しては他のブラウザでの表示に不安があったことも事実である。

で、インストール後さっそくNNで俺のホームページを見てみると、カウントダウンはまったく問題なく表示されていた。Windows98 上のIE4.0以上とNN4.6については動作確認できたことになる。

おお、よかったぜ、と喜んでよくよく見ると、あれ、なんか変だ。俺のホームページ内の別ページへのリンクが下線付きになっている。これは、ポインタがそのリンクの上に来たときだけ色を変え、下線を付けるようにスタイルシートで指定してある箇処である。IEでは大丈夫だったのに、NNではこの機能はサポートされていなかったようだ。

いきなりの違いにちょっとショックを受けた。そんなに特殊なことはしていないので、まあ大丈夫だろうとたかをくくっていたが、この始末である。表示に問題はない、とはいうものの、自分の思ったようになっていないのを現実に見ると何かやりきれない思いである。初打席でいきなり江夏にビーンボールを投げられた時、プロの厳しさを知りました、って感じ。

他に不具合はないか、と捜してみれば、あったあった。10月と12月の日記中、テキストを箇条書きで表現する <UL> </UL> と <OL> </OL> というタグを使用している個所で表示に不具合が発生していた。(このタグを使用した日から画面的に下の日記が、ページ内に指定した左右の余白を無視して文章を表示してしまう)


あまりに簡単に不具合が発生するのにまいった。こういうのを見ると、余分なことはせんほうがええ、っていうふうに思えてくる。文章中にわざわざタグを使わん方がいいのかもしれん。とりあえず、IEでもNNでも同じように見えるのが望ましいと思うので、上記のタグの使用はやめることにしよう。日記ファイルを修正せねば。

Macintosh 上でもきっと不具合が起こりそうだよなあ。それは確認する術がないんで、今は保留だ。バイト仲間が中古のMACを買うらしいんで、確認してもらおう。いろいろややこしいぜ、まったく。


でもさ、なんかこういうのって楽しくてしょうがない。

第2掲示板の設置について 2000年01月23日 14時22分

第2掲示板を設置しました。

開設時から使用中の掲示板と違い、ツリー型表示の掲示板です。

話題に対するレスがつけやすいし、ひとめで見てわかりやすいので、読書会の開催とか、日頃疑問に思ってることを聞いてみたい、とか、俺はこう思うんだけどみんなはどうか、とか、そういう用途には使えるな、と思って設置しました。

ただ、何も考えないで作ったので、タイトルもいいかげんだし、見た目も貧弱貧弱ゥ〜って感じなんです。今のところ試験運用ということで、体裁を変えることもあるかもしれません。(注・早速変えました。15:00)まあ、様子を見てこれからの展開を考えようかと思います。

みなさんも、よかったら参加してください。トピックの立上げも勝手にやってもらってかまいませんので。

(ただし、宗教の勧誘とか広告に類することは禁止ね)

あー 2000年01月22日 22時01分

なんか一時的に燃え尽きた。


山崎の引退式はよかったなあ。

等幅フォントなのでございます。 2000年01月21日 23時00分

みなさま方におかれましては、ホームページやメールを見るのにどのフォントをお使いでしょうか。

わたくし、今までデフォルトの「MS Pゴシック」で見ておりました。

企業から送られてくる宣伝メールに「このメールは等幅フォントでご覧下さい」などと書いてあっても、等幅フォントの意味がわからないので、恥ずかしながら手をこまぬいておるばかりでした。

それが、本日ある些細なきっかけから、等幅フォントというのがどういうものか、わたくし、わかってしまいました。同じゴシック体でも「MSゴシック」と”P”のつかないフォントを選択すれば、1文字(2バイト)の大きさがすべて同じになるんでございます。このような趣きをまったく知らなかったわたくしは、たいへん驚いてしまいました。

ああ、これが等幅フォントか、と感動し、さっそく今まで送られてきたメールを読み返してみたところ、今まではごちゃごちゃして見ずらかった宣伝メールがなんとスッキリして見えるではありませんか。

そればかりではございません。

過去に知人から届いたメールで、先方様の署名の形がバラバラに崩れていたものがあったのですが、それがきっちりときれいな形になっているんでございます。これというのも、先方様は等幅フォントで表示したメーラ上でその署名を確認なさっていたため、異なるフォントを使用していたわたくしめのメーラ上ではその形が再現できていなかった、という訳です。

あ、さては、と思い、わたくしの送った署名入りメールをば見返してみますと、なんとしたことでしょう。等幅フォントで見たわたくしの署名は、ものの見事に不恰好なオブジェと化しておりました。あないみじ。

メーラもブラウザも等幅フォントに切り替えたわたくし、さっそくメールの署名も等幅フォントに対応した物に作り変えたのでございます。

いままで、なんで赤堀の署名はこんなに不恰好なんじゃい、とご不審にお思いになった方もいらっしゃるとは存じますが、それはこのような訳だったんでございます。また、これからわたくしからのメールを受け取る方におかれましては、その次第をご理解いただき、等幅フォントでは赤堀の署名の形は整っているのだ、と思っていただければ幸いに存じます。

まずはご報告まで。どっとはらい。

ためにならないウンチク 2000年01月21日 00時29分

久しぶりに『るーみっくわーるど1』(高橋留美子短編集)を読んでいて突発的に思い出したことがあった。といっても短編集の中身とはまるきり関係ないんである。

同じ作者の『うる星やつら』の平安時代編の中で錯乱坊(チェリー)が読んだ和歌がある。

これやこの犬も歩けば桃の花 娘ふさほせ乾く間もなし

ってやつだ。

解釈は、”これがまあ例の犬も歩く桃の花であろうか。娘が枝に衣を干しているが乾く間もないことだよなあ”。まあ、デタラメなんである。作中でもキャラクターが「意味がわからん」ってツっこんでたよなあ。一方で「素晴らしい」って泣いてるねぇちゃんがいるのがギャグになってた。


で、この歌にはいちいち出典があるんである。(つーか、百人一首を知ってる人ならピンとくると思う。高橋留美子も百人一首やったんじゃねえかな)

今までどこにも書いたことがないので、ここに書いちゃおう。


●「これやこの」

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関(蝉丸)

百人一首に収録されている歌である。蝉丸法師は夢枕獏の『陰陽師』にも登場人物として出てきましたな。


●「犬も歩けば」

犬も歩けば棒に当たる

これは和歌じゃなくてイロハ歌留多。


●「桃の花」

実はこれだけわからないんである。同じようなタイミングで花が出てくる歌に、天神様こと菅原道真が大宰府に左遷された時に詠んだ

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

つーのがあるが、案外ここら辺からの本歌とりだろうか。誰かわかりますか?

今年も湯島天神の梅は匂いを起こしてるんでしょうかね。


●「娘ふさほせ」

これは説明がちと長くなる。

競技としての百人一首には”きまり字”っていう早取り法がある。上の句を読んだ時に、ここまで読めば下の句が特定できる、という字のことである。上に書いた蝉丸の歌を例にとれば、「こ」で始まる歌は他に6首あるが、次に「れ」と続くのはこの歌しかない。よってこれが”きまり字”となり、競技者は「これ」まで聞けば下の句の札を取れるんである。おわかりになっただろうか。

で、このきまり字が1文字目にある歌、つまり最初の1文字を聞いただけですぐ札がとれる歌というのがいくつかあり、その1文字目を並べ合わせると「むすめふさほせ」になるんである。

ということが高校ん時の百人一首の教本に書いてある。

ちなみに、それらの歌は以下の通り。

村雨の露もまだひぬ槙の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮(寂蓮法師)
住の江の岸による浪よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ(藤原敏行朝臣)
廻り逢ひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな(紫式部)
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ(文屋康秀)
寂しさに宿を立ち出でて眺むれば いづくも同じ秋の夕暮(良暹法師)
ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる(後徳大寺左大臣)
瀬を早み岩にせかるる瀧川の われても末に逢わむとぞ思ふ(崇徳院)

これが、「娘ふさほせ」の由来である。


●「乾く間もなし」

わが袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし(二条院讃岐)

これも百人一首に収録されている歌である。


以上、説明終わり。

長いよ。和歌を書き写すのがちと疲れた。

しかし、十年以上俺の頭の中に寝かせておいた知識を何かに叩きつける、ってのは非常に気持ちがいいものであるな。ウンチクたれるのが楽しくてしようがない。なにやらスッキリしたことであるよ。

売りたいのに占いとはこれ如何に 2000年01月19日 21時15分

小学館文庫の『動物占い』シリーズがものすごい勢いで売れている。

今現在、うちの店でも在庫がほとんどない状況なんである。10冊入荷したとしても2、3日中には売切れてしまうという回転の速さだ。(そんなもんなの? とか思っちゃいけない。田舎ではこれくらいのペースでもすごいことなんである)しかも、版元や取次に発注をかけても在庫切れでなかなか入荷してこない。どんな本でもそうなんだが、ものすごく売りたい時には在庫がなく、旬を過ぎてから大量に入荷してくる、なんていう理不尽なことがよく起こる。

そんな訳で、今日もなんとか在庫を確保しようと血眼になって発注かけたりしたんである。

が、ふと我に返ると、なんで占いなんていうアホくさいもののために俺はこんなに一生懸命になってるんだろう、なんて考えてしまう。


俺は占いを信じていない。いや、信じる信じない、というのとはちょっと違う気がする。そもそも気にしていないのである。普段の俺の生活に占いの入りこむ余地は全くない。どーでもいい、というか。木枯し紋次郎風に言えば「あっしには関りのねぇことでござんす」って感じだ。

信じる信じない、って言うには、占いって全然説得力がないと思うからだ。

星占いとか血液型占いによる性格判定なんて、どうとでもとれるようなアイマイな記述を、それを読んだ人が自分の中の思い当たる部分にうまく当てはめているだけなんじゃないの、って思う。そういう部分なんてのは、A型の人でもB型の人でも獅子座の人でも乙女座の人でも誰もが多かれ少なかれ持っているものだとすごく思うんだがどうか。


(例えば、血液型占いでは俺は几帳面だとされるA型人間である。確かに仕事に関しては最低限几帳面にやっていると思うがそうともいいきれない面もある。それに、家に帰れば実に大雑把で、自分の部屋の中はものが散らかっていて比喩でなく足の踏み場がない(威張って言うことじゃねぇか)。というように、局面によって発揮される性格なんてのは違ってくるのである。そもそも何種類かの性格類型や行動パターンに分けられるほど、人間というのは単純なものなんだろうか。要するに思い込みなんじゃないか)


方違え(かたたがえ)、という言葉がある。

平安時代の風習で、貴族が外出する時に陰陽師に方角を見てもらい、「今日はこの方角が悪い」とか言われると、わざわざ別の方角から出た後、遠回りして目的地に向うなんていう行動のことである。

この話題が高校の古典の時間に出た時、クラスは大爆笑になった。なんて非合理的なことをしてたんだろう、昔のやつらって馬鹿だなあ、ということで起きた笑いだった。でも、そうやって笑っていた同級生にしてからが、休み時間なんかには占いの話とかしてたんじゃなかったかな。

今流行している風水ってのも、方角を気にして人間がすべき行動を示す、という点で全く方違えと根は一緒である。あの時大爆笑していたクラスメートで風水にハマっている人がいたりしたら、その方がお笑いだ。

占い大好きという日本人の精神性は、1000年の昔から実は全く変わっていないんではないか、と思う。


ま、それで給料をいただいてる以上、文句をつける筋合いではないんであるが。人が占いを信じようが信じまいが、俺の日常生活にはなんの問題もない。せいぜい『動物占い』とその関連書をがんばって買ってもらいたいものだ。


(が、ここで思うのは、こういう態度って太平洋戦争中に大本営発表を嘘だと知りながら新聞に書いていたマスコミと同じなんじゃないか、ということだ。自分が信じてもいないものの片棒を確実に担いでいる、というのはけっこう危険なのかもしれない、というのは頭にとどめておこう)

日々雑感 2000年01月18日 21時07分

「ビューティフルライフ」を見た。

日曜日に始まったTBSのドラマで、主演は木村拓哉と常盤貴子である。ドラマなんて最近ほとんど見ていないので、これも見るつもりはなかったんだが、水野美紀のホームページの彼女の日記を読んでから見る気になった。ドラマを追いかけていけば、彼女が日記に書く撮影裏話などもより楽しめると思ったからである。彼女は常盤貴子の職場の同僚として登場している。

ドラマを見るのはあくまでも二次的な目的なんで、そんなに期待してみたわけじゃなかったんだけど、これがけっこうおもしろかった。しかし、最後の常盤貴子のモノローグに度肝を抜かれた。明るくさわやかなドラマなんだと思いこんでいたが、本当にそうなってしまうのだろうか。CMなどですでに暗示されていたとはいえ俺的にすごく衝撃的で、思わずラストを想像しては、その妄想にもらい泣きしてしまった。

これからも見つづけるつもりである。


「機動戦士Zガンダム」と「機動戦士ガンダムZZ」を見終わった。

「Z」がクソつまらなくてまいった。話にメリハリはないわ、状況説明がなくて話が見えないわ、登場人物はどうしようもない連中ばかりだわ(エマさん除く)で、いいかげん頭に来た。俺がおめーらを全員修正してやる、って感じだ。

専門誌などを見ると、人物描写がリアル、だとか褒めて書いてあるが、それって利点なんだろうか。フィクション内部で整合性をつけた「リアリティ」と、「現実」は違う。いくら「現実」に近づけようとしても、物語からその設定が浮いていてはリアルもクソもあったもんじゃない。それにリアルでも共感を呼ばないキャラクターじゃ見ているこっちが辛すぎる。

大学の後輩なんかでは、おもしろい、と言っていた奴はいたなあ。どこがおもしろいんだろう。揶揄する意味でなく、本当にその点を聞いてみたいと思った。

反対に「ZZ」はけっこうおもしろかったが、まあ、これは普通のアニメだな。それ以上でもそれ以下でもない。監督・富野由悠季のやる気のなさは、いい方向に作用したようだ。下手に作家性なんて発揮すると、この人は暴走するんだろうと思う。


久々にゲームをやっている。

プレイステーションの「弟切草」(チュンソフト)である。

サウンドノベルというジャンルに属している。要は絵と音のついた小説なんである。ただし、ストーリーの途中でいくつか選択肢が用意されているので、自分の選択した文章によってストーリーが変わって行く、というのがおもしろい点だ。

これは数年前にスーファミで出ていたゲームで、当時俺も中古で買ってちょっとやった。しかしそのカセットが不良品で、頻繁にセーブデータがぶっ飛び、結局途中で投げ出してしまった。で、PSで再発売されたのを期に、もういっぺんやってみようと思ったのである。

ホラー仕立ての話なので、夜中に電気を消し、ヘッドホンで音を聞きながらやるとコワさ倍増でたいへんよろしい。グラフィックもサウンドもSF版よりは飛躍的にグレードアップされてるし、また、デュアルショックを使うと緊迫した場面でいきなりコントローラーがぶるぶる震え出しびっくりさせられるのも、SF版になかったよい点である。

でも、よくなったはずのサウンドなんだが、それでも貧弱な音源しか使っていなかったはずのSF版の方が恐かったし感じが出ていたような気がしちゃうんだよなあ。

このあたり画像の悪いエロビデオの方が、自分の頭の中で画像を補正できるのでエロさ倍増、というのと同じ理屈か・・・


スピッツのベストアルバム「RECYCLE」を聴いている。

今日買ってきたんだが、聴いているとすごく気持ちがほぐれる。音楽でストレスは解消できるんだなあ、ということに驚いた。ダビングして車の中でも聴こうと思う。

本屋の店員は密かに怒る。 2000年01月17日 23時58分

本屋には、いろんなお客さんが来る。

中にはタチの悪い人もいる。

今日も今日とて、池新田高校の女子高生2人組が、自動車雑誌が置いてある棚の前で制服(ブレザーにミニスカート)のままうんこ座りし、棚をテーブル代わりにして中古車情報誌を熱心に座り読みしていた。

ま、それだけなら問題はないが(ホントは見苦しいのでやめてもらいたいんだが)、そのうちにポケットから何かを取り出してこそこそしている。

なんとこいつら、自分の携帯電話のメモリーに、雑誌で紹介されている中古車ディーラーの電話番号を入力してるんですな。


ロンブーの出ている中古車情報誌『GOO』のCMをご存知だろうか。

コンビニで『GOO』を立ち読みしながら、気に入った車のディーラーにその場で電話をかけようとするロンブーの2人に、女の子の店員が決死の面持ちで

「お客様、買ってからにしてください」

と注意するCMである。

あれはギャグだが、こっちはマジだ。

現物を持って行ってないだけで、万引きと同じじゃねえか。猛烈にむかついた。


目撃した時、俺は店内の離れた位置にいたので注意できなかった。そばに行った時はもう入力が終わっていたのである。

なので、今度入力するようなそぶりを見せたら、すかさずでかい声で文句を言ってやろうと(いやがらせである)彼女らの死角に入る位置で雑誌の棚の整理とかをしながら監視していたのだが、俺が近くにいることがわかったのか、それともたまたま気に入った車がなかったのか、それから彼女らは携帯を持ち出さず、結局、俺の勤務時間が終わってしまった。

晴らすあてのないストレスは、俺の中にどんどん溜まっていく。気分が陰にこもる。自分がどんどん陰険でイヤな奴になって行くような気がする。


若いやつらは特に平気でこういうことをする。

今はさすがになくなったが、携帯の着メロ本が出始めてベストセラーになっていた頃、店内で自分の携帯に入力し、店中に音を響かせていた人が少なからず発生したこともあった。これはその都度注意してやめてもらった。

6人くらいの若者の集団が、男性ファッション雑誌の棚の前で、床に車座になって座り込み、雑誌を見ながら歓談をはじめたこともあった。雑誌も床に直接おいて見ていやがるので汚れるし、他のお客さんの通行は邪魔をするしで、これも注意してやめてもらった。

だが、俺のナマの気持ちとしては、そういう奴らは注意するどころかその場でぶん殴ってやりたいぐらいである。


こういう特殊な例だけではない。

本を読み散らかしてそのままにするのは、年代・性別に関係なく行われる。ガキからいい大人までみんなやっている。これもいい加減腹がむかつくのだが、さらに許せないのは、そんな自分のガキの行動をそのままにする親がいることである。子供が散らかしたら、自分で片づけさせるか、代わりに親が片づけろっつーの。それが教育ってもんじゃねーのか。許せん。


このように、毎日むかつくことが多すぎる。マジでぶちキレそうになる時もある。

書いたらちょっとは気が晴れるかと思ったが、とんでもない。イヤなことを思い出してよけいにイライラしてきた。

なんとかならんのか。くそおお。

ダイエッター・アカ その後 2000年01月17日 00時01分

体重が異常である。

ここ2日ばかりは、1日1kgの割合で減っている。うちの体重計で測った俺の体重は、今73Kg。測り始めた時は77Kg以上あったので、2ヶ月で4Kgくらい体重が減ったことになる。その半分はたった2日で痩せた分だ。これはこれでたいへん喜ばしいことだが、しかし、この急激な減りざまはなんだろう。ダイエットの成果でなければ、なんか悪い病気にちがいない。


で、あいかわらず運動をしている。

食事制限もせず酒も飲んでいるので、ダイエットといっても身体を動かすのが唯一の取り組み方なんである。それでも、身体の調子はだいぶよくなって来たように思う。腹についていた脂肪は見事なくらい落ちた。ちょっと腹の肉をつまんでみれば、つまんだ肉は前よりも薄くなっている。あごの周りのだぶついた肉もこそげ落ちて、あごのラインが出るようになったし、首も太くなってきた。

ほとんど毎日、夕食前の時間を使っての運動である。気がむかない時や、筋肉に痛みがある時は無理せず休んだりしているので、身体をいじめている、という感じではない。昔やっていた時と比べると手ぬるいのは否めない。


いまやっている運動を、いつもやる順番に書いてみる。


1.ヒンズースクワット  45回
2.拳たて伏せ  20回
3.腹筋  30回
4.ひねり腹筋  20回
5.背筋  25回
6.指立て伏せ  5回
7.腕立て伏せ(ハーフ) 5回
8.上腕の運動(ダンベル使用)
9.ヒンズースクワット(ダンベル付き) 10回
10.ストレッチ(主に下半身)
11.腕立て伏せ(プロレス式) 10回
12.首の運動
13.ストレッチ(主に上半身)

こんな感じで20分である。ウインドブレーカーの上下に中にはトレーナーという格好で運動しているのだが、建物の中だとうっすら汗をかく程度の運動だ。

前に書いた時よりも若干メニューを増やしている。こうして書くとご大層な数をこなしているように見えても、それぞれの回数は少ないからたいしたことはない。身体も慣れたので、全然きつさは感じない。

それが物足りなくもあるのだが、習慣化するにはこれくらいがちょうどいいのかな、とも思う。

効果は上がってきてるから、まだまだこれからも続けるつもりだ。

本屋の正月 2000年01月15日 21時43分

正月特需でガラガラになったうちの店の棚も、ようやく商品が補充され、息を吹き返した。

でかい店ならいざ知らず、うちのような中堅店は余分な在庫を持つ余裕などない。同じものを複数冊置いてあるコミックとかは別だが、その他の文芸書などは、ひとつ売れたらまた発注をかけないとその商品は在庫切れとなるのである。

で、困るのが年末から年始にかけての間だ。この1週間ほどは日本全国どこでも会社は休みなので、当然、出版社も休み、印刷所も休み、取次も休みなら運送屋も休みで、全く商品の搬入は途絶えることになる。

だがしかし、お年玉をもらって正月成金となった子どもお大尽さま方は絶好調である。店の棚から見る見る在庫がなくなっていく。その様、補給ラインを絶たれて餓死寸前でも戦わざるを得ない最前線の如し。

ゲームが売れる。攻略本が売れる。コミックが売れる。コミック文庫が売れる。ティーンズ文庫が売れる。子供が立ち寄りそうな棚の商品は盗賊団の略奪後みたいな風景である。本が売れて隙間が大きく空いた棚がみっともないんで、そこは棚に残った本の表紙を正面に向けて穴埋めをする。だが、これって物がないのを必死に隠しているという情けなさがモロ見えで、よけいにみっともない。12月中に、正月の売上を見込んで発注をかけた本が入らなかったこともあったんで、それが更なる悲劇を招いたって感じだ。

もう、荷物の到着が待ち遠しくて仕方がなかったんである。


そんな状態もようやく解消されて来た。棚にできた大穴も徐々にふさがりつつある。ま、問題はこの後、きっと在庫超過になるんで、山のように出る返本を荷造りする作業が面倒くさいといったところか。

いや、売れるてるんだから喜ばなきゃいけない。なにしろ、三が日は1日の売上が100万を越えたそうだ。通常の3倍のスピードである。

そう、お客様は神様です。あ、神様、写真集のビニールははがさないでね。

5cmの向こう岸 2000年01月15日 02時38分

仕事のときに履いているジーンズに穴が開いた。股のところが擦り切れたのである。

仕方がないので今までプライベートで履いていたジーンズを仕事着に回したら、今度はプライベートで履くズボンがなくなった。私服としては他にウィンド・ブレーカーの上下をもっているものの、それも今では夕食前の運動用に使っている。汗をかくのでダイエットにはなかなか都合がいいのである。しかし、埃まみれで外出用には使えない。

俺の持ってる着るものってこんなに少なかったのか、と我ながら呆然となった。

こうなっては買うしかないのだが、そんな金はない。着る物に使う金など完全に計算外なのである。困った。

となれば、ここはあそこに行くしかない。

掛川のユニクロに買いに行くことにした。


ユニクロってご存知か。

デザインとしては無難でシンプルな色使いのカジュアルを売っている店である。

俺は掛川の他に千葉県野田市でも見たことがあるので、多分全国チェーンなのだと思う。

ここの服が安い。

シンプルだから安いのか、安いからシンプルなのか、その辺は定かではない。まあ、俺のような服に金をかけたくない人間には、たいへん助かる店なのである。


買うのはジーンズである。

値段を見ればどの色も、どのデザインも2900円。うーん、素敵。

ここでちょっとブラッド・ピットのCMを思い出し、ブラック・ジーンズを買おうかとも思ったが、でもそれならEDWIN(ごぉまぁりさん、って奴)のを買った方がいいやと色気を出して、ブルーのレギュラーストレートにする。


ここで問題。俺のウエストは何cmでしょう。

そういえば、ウエストなんてここ最近計ってなかったことにハタと気がついた。俺は何cmのものを買えばいいんだ? 33インチが85cmで、34インチが88cmか。俺の感覚的には85なんだが、でも太ったし88の方がいいかなあ、しかし88はねぇだろ、なんてたった1インチにさんざん逡巡しながら、結局、様子を見るつもりで88cmのを持って試着室に入った。ピッタリだった。ガーン。


正確に言うと、腹筋の力を緩めて腹がポーンと前に突き出た時のウエストが88でピッタリだったんである。最近は腹筋が強化されて、普段の生活でも無意識に腹筋が脂肪つき内臓を押さえ込んでいる。だから、普通にしてる時は88だとむしろ緩いくらいだ。85でも余裕で入る。しかし、突き出る腹もまた非情な現実である。どうしようかな、とちょっと迷った。

でも、ま、2900円だしな、と値段の安さがウエストへの執着を立ち切らせた。高いもんじゃないんだから、そこまでこだわることねぇよな、ってなもんだ。もし緩くてもベルトで締めちゃえば同じだし、と成長期の息子を持った主婦のように、ウエスト88cmのブルー・ジーンズを買った。


家に帰って、仕事用に下ろしたジーンズのウエストが何cmだったか確かめてみた。83cmだった。

これはまだ東京で仕事をしていた時に、新大久保で買ったものである。もう5年くらい履いてるだろうか。

買ったばかりの時は多少ウエスト周りは余裕があったように思うが、今では88cmの腹を入れてもなんともないくらい緩んでしまった。色もだいぶ褪せてるし、尻も少し擦り切れてきている。

その古いジーンズを見てたら、5年で5cm太ったのか、と妙に感傷的になったりして。

最近は、このように昔と今とのギャップにいちいち驚くことが多い。自分では自覚がなくても、周囲の状況が証拠を突き付けて自白を迫るのである。年をとったということなんだろうか。老けこむにはまだ早すぎるが、さりとて若いというわけでもない。微妙な年頃である。

せめてウエストが90cmを越えないようにしよう、と固く心に誓うのであった。

再び『買ってはいけない』に文句を言う。 2000年01月13日 23時55分

1999年10月19日の俺の日記、「『買ってはいけない』の極めて個人的な感想 Part2」で、「日本盛」についての告発文(『買ってはいけない』P.68)の中の事実誤認について指摘したんだが、なぜ執筆者がそのような間違いを犯すことになったのか理由がわかってしまった。


発見は偶然だったんである。

先日、このホームページ内に、日本酒の解説書を紹介するページを作ろうと思い、家にある日本酒本を集めてみたんだが、その中に『ほんものの酒を!』(三一書房・新書・日本消費者連盟編著)という本があった。”あなたはニセモノを飲んでいる”という副題がついており、内容はいまの酒類がいかに多くの添加物が使われている「ニセモノ」(俺注)か、ということを糾弾し、そうではない「ホンモノ」(俺注)の酒を飲もう! という主張が書いてある。

初版が出たのが1982年だから内容もその分古臭く(とっくに廃止された級別制度に文句をつけてたりする)、本の姿勢も気にいらねぇので、これは紹介するのは止めようかなあ、なんて思いながらペラペラ読んでいたら、321ページにこんな文章を見つけた。

「特別本醸造」−−「本醸造」清酒のうち米を原料とするアルコールのみを用いたもの。

『買ってはいけない」に書いてあった「特別本醸造」の解釈と同じである。

この本の「特別本醸造」の解釈が何をもとにしているのかわからないんだが、現在の解釈と異なっている。

1990年の「特定名称の酒」の法制化、

1992年の酒税法の級別制度廃止

により、日本酒の分類は1982年当時とは全く変わっているのである。

(”特定名称酒”については、国税庁酒税課発行の「酒のしおり」に記述があることはわかったんだが、どの法律に記載されているのかは俺的に不明)

ははあ、さては執筆者はこの本をネタにしてあの文章を書いたのか、と思い当たった。ちょっと周りを見まわせば新しい解説本くらいたくさんあるのに、こんな古い本を資料にする執筆者の間抜けさと浅はかさにあきれながら、この本のあとがきを見てみたら、船瀬俊介と名前があった。

『買ってはいけない』の「日本盛」の文章を書いたのと同一人物であった。


するってーと、なにかい?

この人は今から18年も前の現代には通用していない知識をもとに、あの批判文を書いたのかい?

批判文には『私たち消費者運動は「特定名称」という品質表示制度を勝ちとった』という記述があるし(P.69)、純米大吟醸、本醸造なんて単語が出てくることからも、いちおうそちらの知識はあるみたいだが、細かいところは実は知らねぇんじゃないか。不勉強もいいところである。

こんないいかげんな態度で堂々と商品批判しようってんだから恐れ入る。

怒りを通り越して、おじさん、情けなくなってきちゃったよ。

静岡の地酒はうまい(後編) 2000年01月12日 17時06分

ここに一冊の本がある。

昨年11月に講談社から出版された本で、タイトルは『うわさの名酒200選』。

”酒マニアが舌で集めたおいしい日本酒ガイド”と副題がついている。編者は「地酒スペシャリストの会」。値段は1500円+税。

タイトルどおり、初心者や日本酒に興味のある人に向けたガイド本で、日本酒を、


◆純米大吟醸、◆大吟醸、◆純米吟醸、◆吟醸、◆純米本醸造、◆古酒・その他、◆幻の酒


に分類し、それぞれにおける編者のおすすめを紹介している。

その他にも日本酒の基礎知識や雑学など、読み物も充実していておもしろいし読みやすい。

で、この本の中で、静岡の酒がかなり紹介されているのである。

それをいちいち列挙してみよう。


◆純米大吟醸

「若竹」”おんな泣かせ”<(株)大村屋酒造場・島田市>

「初亀」”亀”<初亀醸造(株)・志太郡岡部町>


◆大吟醸

「開運」”波瀬正吉”<(株)土井酒造場・小笠郡大東町>


◆純米吟醸

「開運」<(株)土井酒造場・小笠郡大東町>


◆吟醸

「喜久醉」<青島酒造(株)・藤枝市>

「正雪」<(株)神沢川酒造場・庵原郡由比町>


◆本醸造

「志太泉」特別本醸造<(株)志太泉酒造・藤枝市>

「杉錦」特別本醸造<杉井酒造(有)・藤枝市>

「正雪」特別本醸造<(株)神沢川酒造場・庵原郡由比町>


◆幻の酒

「磯自慢」純米大吟醸・生<磯自慢酒造(株)・焼津市>


残念ながら、◆純米、と、◆古酒その他、では一品も紹介されていないのだが、本で紹介するにたるこれだけの酒がある、というのが読んでいて俺は妙にうれしかった。

ちなみに、県別に紹介された酒の数を比較すると、酒の種類では新潟県が22と最も多く、ついで石川県の12、山形県の11と続いて、静岡県は10と4番目の多さである。

また、紹介された蔵元の数でも新潟が14とダントツに多いが、ここでも静岡県は山形県の9についで8と、3番目の多さである。


もちろん、これはこの本を編集した人たちの見方であるから、このデータを絶対視することはないし、それをもって静岡の酒がすごい、というのにはちょっと根拠としては弱いと思う。

しかし、一部からはこのような評価をされるだけのものが、静岡県の酒には間違いなくあるのだ、とは言ってもいいのではないか。これは酒の好きな静岡県民である俺としては、誇ってもいいことであると思う。

それに、上に書いた蔵元の酒は、やはりいずれもうまいんであるよ。不幸にして「杉錦」はまだ飲んだことがないんだが、県内でもなかなか手に入らない”おんな泣かせ”を知り合いの居酒屋でたまたま(しかもタダで!)飲ませてもらって、そのあまりのうまさに「うまいっけなあ」と叫んだり(静岡ギャグ)、酒屋さんに奨められて飲んだ「喜久醉」に感動したりと、俺の味覚を快く刺激し続けてくれる酒が県内にはまぎれもなく存在してくれるのである。


なんで、これを読まれた酒好きの方が、もしもどこかで静岡の日本酒を目に留められて、

「そういえば赤堀の野郎がなんか言ってたなあ」

とそれを味わってみてくれたりしたら、そして、

「なかなかうまいな」

なんて思ってくれたりしたら、俺としてはもう、望外の喜びなのである。

静岡の地酒はうまい(前編) 2000年01月12日 04時12分

酒を飲んでいる。

ダイエットはあいかわらず続行中であるものの(体重は3Kgほど落ちた)、嗜むくらいなら悪くはあるめぇ、と、量と頻度を落として飲み始めた。親父のところに届いたお歳暮の日本酒が大量にあり、これを片付けねばならない、という大義名分もあるので、全く気がねなく飲めるんである。ああ、酒がうまい。


この間は、年も明けたことだし給料も出たので、少々値の張るものを飲んでやろうと思い立った。となり町の地酒に力を入れている酒屋で、給料が出たら買おうと前々から決めていた「開運」の”波瀬正吉”を買った。720ml(4合)で4500円である。この酒は一升瓶でも売っているが、それは一万円するのである。くわっ、高けぇ。

”波瀬正吉”というのは「開運」で酒造りをする杜氏の名前である。「開運」では、その年最高の出来栄えの大吟醸にのみ、能登杜氏の四天王にも数えられるこの人の名を冠して出荷しているらしい。その名前と値段に蔵元の意気込みとプライドが見える。

で、これがまあ、うまいったらないのである。

実はこれを飲むのは二回目で、前に飲んだのはまだ埼玉で一人暮しをしていた時、日本酒の道に入り込んだばかりの時であった。あの時もあまりのうまさに思わず崩していた足を正座してしまったほどだったが、今飲んでもうまいものはうまい、と認識を新たにしてしまった。

もう、その味を邪魔されるのが嫌で、下手なつまみなんか食べられない。酒の味と芳香だけで満ち足りてしまうのである。

大事に大事に飲んで、4日で飲み切った。ああ、うまかったあ。


みなさんは、静岡の地酒にどのような印象をお持ちだろうか。

「え? 静岡でも日本酒なんて造ってるの?」なんて意外に思う向きもあるかもしれない。

実は俺もそうだった。昔は日本酒に関心がなかったせいもあるが、酒というのは兵庫(灘)か新潟のものを知っているにすぎなかった。だいたいが、TVのCMなんかでよく見る日本酒ってのは灘のものだったしね。

そんな俺の意識が変わったのが「夏子の酒」を見てからだ。

数年前にフジテレビで放送された、和久井映見主演のドラマである。けっこうおもしろくて、見ていると、日本酒の味がわかるってなんかいいなあ、という気分にさせられた。これがきっかけで日本酒に関心を持つようになったのである。それまでは家で酒を飲むことなどめったになかったが、一升瓶を買ってきて一人でちびちびと飲むようになった。まだ俺が一人暮しをしていた時のことだ。

で、原作本(『夏子の酒』全12巻、講談社漫画文庫)も読んだ俺は、そのマンガの最後に載っていた取材に協力した蔵元の名前の中に、静岡の蔵があるのを発見したのである。それは次の三つだった。

俺の出身地である静岡県に酒を造っている会社がある、というのが驚きだった。そんなことは意識したこともなかったのである。まずそれで興味を引かれ、紹介本などを読んで行くうちに、

ということがわかってきた。いままで知らなかったことだけに、目の前に新しい世界が開けたみたいで、俺はすごく強い印象を受けたものである。

実際に「開運」を飲んでみれば、これがまたイケる。俺の身近にこんないい酒があったのが妙にうれしくて、以来「開運」を愛飲するようになった。日本酒に目覚めた時に、いい酒に出会えたのは幸運だったなあ、と今にして思う。

その後、俺は仕事を辞めて田舎に帰ることになり、地元の酒屋で買った「開運」を存分に飲めるようになったのであった。

黒と黒 2000年01月10日 21時08分

新日本プロレス、東京ドーム大会についての感想の3発目である。


<1>


この日、武藤敬司vs蝶野正洋という、”nWo JAPAN”と”Team−2000”という、同じく黒をチームカラーとする集団の頭目同士の生き残りをかけた闘いがあった。


IWGPヘビー級のベルトは失ったものの、エースとしての風格は他の追随を許さない武藤。

もはやプロレスの枠を越えてその存在を周囲に刻みつける「黒いカリスマ」蝶野。

(ジュビロ磐田の中山雅史が「チーム・ツー・サウザンド!」と画面に出て来たのは驚いた)


小川直也という外敵に、その「闘い」という部分の屋台骨を揺さぶられ続けた新日本プロレスの、「プロレス」という保守本流を、この1年間支えつづけて来たのはまぎれもなくこの二つの黒い軍団であった。それを率いる二人の「頂上決戦」である。

昨年末から始まった、この黒と黒の抗争が、一応の決着をみる、というのがこの日の試合だった。それは、どちらが軍門に下るか、というだけでなく、これからの新日本プロレスの主導権を誰が握るか、という団体の覇権を争う意味をも持った試合だった。


TVでは試合開始から大幅にカットされての放送だったので、試合全体を見ての感想ではないのだが、それでもかなりいい試合だった。同じ日に行われたIWGPヘビー級選手権試合、天龍源一郎vs佐々木健介の試合が素手の拳でお互いの顔面をガンガン殴り合うという、真正面から肉体のすごさをぶつけ合った、プロレスの激しさという面を前面に押し出した試合だったのに対し(これもすごかった。おもしろかった)、こちらは駆け引きとお互いの技の凌ぎ合いという、プロレスの緻密さというものがよく表れた試合だったと思う。

試合は途中から消耗戦の様相を呈したが、最後は武藤のムーンサルトプレスを膝を立てて防いだ蝶野が、STFから両足を極めるSTFにつなぎ、武藤からギブアップを奪った。25分におよぶ熱戦であった。

すごくおもしろかった。と同時に、この試合に選手権がかかっていれば、と少々残念な気もした。まさに新日本の頂点を極める闘いにふさわしい試合に俺には思えたのだ。


黒と黒との戦いには一応の終止符が打たれた。この後、この流れはどういう方向に行こうとしているのだろう。

蝶野がこの2つの軍団を統一するのか。

黒いはずの武藤が白いガウンをまとって入場してきたのにも、なにやら謎めいて引っかかるものを覚えた。(もっとも、武藤のことだから何も考えてないのかもしれない)

この展開からは、まだまだ目が離せない。


<2>


新日本プロレスと言えば、「黒」という色には特別な意味があった。

それは強さの象徴であり、ショーマンスタイルという軟弱な試合形式をとる凡百のプロレスと一線を画す、「ストロングスタイル」という過激なプロレスを象徴する色であった。

アントニオ猪木の黒タイツ、黒シューズを始め、メインイベンター級のレスラーは皆この色を身にまとったものである。

それがこの変わりようはどうだろう。

いまや、「黒」と言えばそれはすなわち”nWo JAPAN”か”Team−2000”のことを指すようになっている。黒を身にまとう蝶野のカッコよさに心酔する最近のファンは、それに違和感を覚えることなど全くないだろう。

新日本プロレスに於ける「黒」の意味は完全に書き換えられてしまった。


ここで注目すべきは蝶野正洋である。

新日本がこのようになったのは、ほとんどがこの男の力によるものだと俺は見ている。

G1−CLIMAX3度目の優勝後に、正統派を捨ててヒール(悪役)転向。それから、自ら黒を身にまとい、”nWo”ブランドを一大ブームにして見せた。(”nWo”Tシャツを着ていた奴らのなんと多かったことか)

怪我による欠場後、1999年初頭には、なんと自ら作り上げた”nWo”を捨て、新たに”Team−2000”を作り上げた。この新たなる黒と”nWo”の黒の対立の図式が、その話題性と、蝶野のカリスマ性、武藤の大人気もあって、新日本プロレスを席巻したのだ。”nWo”だけにとどまっていれば、単なる本隊とヒールとの闘いでしかなかったものが、新しい対立概念を出現させることによって、黒と黒の対立がヒールという枠さえ超えてしまったのである。この闘いの前に、新日本プロレス本隊は、悲しいほどかすんで見えた。

かねてより、アントニオ猪木の匂いを新日本から消す、と公言してはばからなかった蝶野だが、実際そんなことができるとは、俺は露ほども考えていなかった。アントニオ猪木というのは、新日本にとってそれほど偉大な存在だったのである。

それが、気がついてみれば、アントニオ猪木の残した財産は、蝶野によって換骨奪胎されていた。 時代の流れと言うのは簡単だ。しかし、ならばここまで時代を味方にできる人間というのが、プロレス界にかつていただろうか。これはもはや革命である。蝶野がもたらした「黒の革命」は、完全に新日本の「黒」を、本来同じ色であるにも関らず、違う「黒」に染め替えてしまった。


「ストロングスタイル」としての黒が、UFOの襲撃によって危機にさらされている現在、蝶野の打ち建てた黒の持つ意味は、とんでもなく大きい。これから、旧時代の黒が復活してくることはあるのだろうか。それとも、新時代の黒が揺るぎないものとなるのか。

業界No.1企業となってからも、新日本プロレスという運動は(昔とは方向性は違えど)とどまるところを知らないようだ。

リングの上だけにとどまらず、世間に向けてプロレスを発信しつづける蝶野の動きとともに、UFO、黒い軍団、「ストロングスタイル」を内包し動きつづける新日本プロレスという団体からは、やはり目が離せないのである。

怒りの獣神 2000年01月07日 22時51分

それは異様な試合だった。

1月4日に行われた、新日本プロレス東京ドーム大会のIWGPジュニアヘビー級選手権試合のことである。

いつもの赤と白の鮮やかなコスチュームを捨て、全身黒ずくめで現れたチャンピオン・獣神サンダーライガーは、試合開始とともに掌底を挑戦者の金本に叩きこみまくる。金本も張り手やキックで応戦するが、ライガーは全く受けつけない。双方とも技らしい技を出さないまま、掌底だけでライガーは金本をほとんどKOしてしまった。結局、雪崩式の投げっぱなしジャーマン・スープレックスから垂直落下式のブレーンバスターにつないで、ライガーが金本をあっさりとフォールした。

試合時間は3分56秒。

選手権がかかった試合としては、極端に短すぎる試合時間であった。

プロレスの試合では、相手のいいところを引き出したその上できっちり相手を打ち負かす、というのが原則とされる。

だが、ライガーは最初からそんな試合をするつもりではなかったように俺には見えた。あきらかに相手を潰しに行っていた。いきなり目の前に展開された掟破りの試合に、俺は仰天しつつも、「ライガーがすごいことになっている」と興奮を押さえきれなかった。その衝撃は、昨年の1月4日に突如として降って沸いた小川・橋本戦から受けたものと、ほとんど同等であった。さらに思ったものである。「ライガー、よくやった」と。


伏線はあったのである。

今の新日本プロレスのジュニアヘビー戦線は若手主体となっている。その彼らの試合を指して、時のチャンピオン・ライガーは「今のジュニアはぬるま湯」と批判、ベルトを保持したまま新日を無期限離脱するという強硬手段に出たのだ。その態度に、金本・大谷などの中心選手はいっせいに反発し、そして、ついに1月4日、両者の決着をつける形で選手権試合が組まれたのである。

今のジュニアヘビーが「ぬるま湯」ならば、ではライガーは何を求めているのか。

そして、挑発された若手側は、一体どんな形でその批判を覆すのか。

注目すべき点はこの二つだと俺は見ていた。

そして、試合前は威勢のよかった挑戦者・金本だが、試合では何もできないままライガーの前に沈むという醜態をさらしてしまった。ライガーの求める戦いについて行けなかった、という点で、まさしくライガーの主張が証明された形になった、と俺は思う。


「ぬるま湯」と批判された若手だが、それではそんなにダメな試合をしているかというとそうでもない。金本・大谷などは人気選手だし、観客を意識したパフォーマンスと派手な技の応酬で、会場ではお客さんも大いに沸いている。

だが、これは俺の個人的な感想だが、そこには「闘い」はなかった。「プロレスってのはこういうもんだぜ」という割り切りに満ちた人々の演じる、その場限りのお祭りにしか見えなかったのである。見てれば飛んだり跳ねたりおもしろいが、こちらの心に突き刺さるような、こちらの想像をかき立ててくれるような、そんなものなど何もない。選手に至っては、プロレスをプロレスとして満足しきっている。ただ与えられた役割を忠実にこなしている歯車に過ぎない、と、そんな風にさえ思っていた。

つまり、俺にとっては「気にいらねぇ」試合だったんである、ジュニアヘビーの試合は。

そこにライガーの「ぬるま湯」発言である。わが意を得たり、と俺が喜んだのは言うまでもない。だからこその俺の試合後の感想である。再び書く。

「ライガー、よくやった」


今から10年ほど前、ライガーは佐野直樹(現・高田道場)と、ジュニアヘビー級王座を巡るものすごい「闘い」を繰り広げていた。それはまさに死闘と呼ぶにふさわしい試合だった。どんどん危険度を増す技の応酬に、このまま行ったら絶対この二人死ぬぞ、とTVの前で戦慄しながら俺は見ていたものである。大学・会社と世話になったF先輩に至っては、妙にうれしそうに「ライガー、死なねぇかな」とか言っていた。

そこまでの試合をしていたライガーだからこそ、今の若手に「ぬるま湯」と言えるのである。俺はそれを支持できるのである。

幸い、ライガーはベルトを返上するようなことはしなかった。これからもジュニアヘビーとして闘う意志がある、ということだ。このライガーに、若手はどう答えて行くのか。(目を覚まさなきゃいけないのはヘビー級のレスラーだけじゃないんだよ)これが今年のジュニアヘビー級のテーマである。


(願わくば、ただいま絶賛減量中の元祖ジュニアヘビー級王者・藤波辰爾社長がジュニアヘビーに復帰して、ライガーと試合してくれねぇかな)

道はどんなに険しくても、笑いながら歩こうぜ。 2000年01月06日 00時33分

新日本プロレスの東京ドーム大会をTVで見た。

なかなかに見所が多く、充実した大会であるように思った。放送された試合はどれもすごい試合で、試合の持つ意味合いはそれぞれに違うのだが、どれも俺にとってはものすごく納得のいくものであった。あれを生で東京ドームで見たお客さんがはっきり言ってものすごくうらやましい。

見ていたら書きたいことがたくさん出てきて困ってしまった。今は頭が少し混乱している。


で、とりあえず小川・橋本がらみの試合について書こうと思ったのだが、10月11日の試合の後、感情が高ぶってなかなか感想が書けなかったように、今回もどうやら俺は同じ精神状態になってしまっているらしい。冷静に試合を振り返ることがいまだにできないでいる。

小川・村上組vs橋本・飯塚組のタッグマッチは期待に違わぬすごい試合であった。

心配していた飯塚も、試合開始早々にUFO村上の不意打ちを喰らい戦闘不能に陥ったのはいただけなかったものの、無効試合が宣せられた後の再試合では村上相手にグラウンドではきっちりと極めて見せた。打撃に対する耐性がないという点がいまいち不安であるが、それでも、飯塚なかなかやるじゃん、とは思わせる闘いぶりであった。日頃プロレスでくすぶっているのが嘘のような燃え方であった。

俺としては、もっとこういう飯塚が見たいのである。飯塚はプロレスが下手なんだから、無理してプロレスに付き合うことないんじゃないだろうか。ただ勝敗を競い合うようなバーリトゥードのような競技の方が向いているんじゃないか、と前から思っていたのだが、この日、その思いをいっそう強くした。

一方、去年のこの日、飯塚により病院送りにされてしまった因縁の村上一成である。この人の気合の入り方が凄かった。入場した時からすでに目がぶっ飛んでいた。ゴングが鳴る前に飯塚を襲い、顔面パンチと顔面蹴りで戦闘不能に追い込んだところなんぞは、こっちも見ていて頭がぶっ飛んじまった。俺はこういう危ない人は大好きだ。

これはさあ、もうシングルでやるしかないでしょ。絶対に見たいよ、俺は。

村上にはもっともっと飯塚を追い込んでもらいたい。プロレスをかなぐり捨てた飯塚というのを見てみたい。小川に負けた橋本がそうなったように。


というところで、小川と橋本である。

この試合を見る前には、小川と橋本のシングルなんてまだ早すぎるぜ、と思っていた俺だが、はっきり言って考えが変わった。いまやっても充分おもしろい試合になるんじゃないか、と思ってしまった。それくらい橋本は変わっていた。去年、小川に仕掛けられて何もできなかった情けない橋本はそこにはいなかった。

これだけの期間しか経っていないから、飛躍的に技術が向上したということはないんだろうと思う。しかし、もう最初から小川と村上を殺すつもりでいるだろ、というくらいの橋本のものすごい殺気と、完全に腹をくくったかのような佇まいを見たら、いけるよ! と思わせられた。

勝てるかどうか、それは全くわからない。この日は橋本が小川の腕を極める局面もあったが、タッグとシングルでは勝手も違うだろう。

でも、見たくなった。できれば、新日本プロレスの次回の東京ドーム大会(4月)で、小川vs橋本、5度目のシングルマッチと、村上vs飯塚、初のシングル対決を見てみたいものである。


けっこう冷静に書けた。我ながら驚きである。こう書きながらも、腹の中の煮えたぎったマグマがいまにも噴き出しそうな、そんな興奮を感じているのである。

いや、でも、とにかく、殺気がどろどろと渦巻いた、緊迫感に満ちたとんでもなくおもしろい試合であった。

眠れる新日 2000年01月04日 11時45分

今日1月4日は新日本プロレスの東京ドーム大会の日であった。

注目の小川・村上組vs橋本・飯塚組の試合だが、ノーコンテスト裁定の後、UFO総裁アントニオ猪木による再試合決定を経て、最後は飯塚が因縁の村上を裸絞めで極めたらしい。


勝つには勝った新日サイドではあるものの、UFO.BBSへの書き込みを見る限り、飯塚はグランドでは全然いいところがなかったようだ。バーリトゥードという試合形式が定着してきて、プロレスラーの対応の遅れが「プロレスラーは弱い!」という格闘技ファンの嘲りを生んでいる昨今であるが、率先してその評価を覆すべく努力すべき大国・新日本プロレスはいまだに眠ったままのようである。

この試合前、新日の現場監督である長州力は、バーリトゥードのようなルールでも、そういう練習は飯塚を筆頭にちゃんとやっているし何の問題もない、というようなことを新聞紙上で発言していたらしい。

だが、本当にそうだろうか? ならば10月11日に行われた東京ドーム大会の永田裕二vsキモ戦で、新日では格闘戦用の第一番手と目される永田が、ほとんど試合をしていなかったキモに負けちゃったりするのは一体どういうことなのだろう。どうも現場の意識とマット界の現状に、たまらない隔たりがあるように感じるのは俺だけなのだろうか。


1999年1月4日、東京ドーム大会のあの試合で橋本を完膚なきまでに叩きのめした小川直也は、新日本プロレスのファンに向って「目を覚ましてください!」とマイクアピールをおこなった。新日の弱さを目の当たりにしたファンは完全に目が覚めたものである。少なくとも、新日本プロレスの「強さ」になんらかの思い入れを込めて見ていた俺のようなファンは。

しかし、あの大事件の後もレスラーたちはまだ目が覚めていない。小川を打ち負かして「強さ」を追及してやろうというレスラーは出てこない。多分一人だけ目が覚めているだろう橋本が団体の中で浮いているのは、「King of Sports」を旗頭にするかつての「最強軍団」の落日を見る思いである。


今日、というか、日付が変わって1月5日の0時20分から、東京ドーム大会のTV放送がある。とりあえず今はそれが最大の楽しみである。小川は、村上は、橋本は、飯塚は、どのように闘ったのだろうか。

あと、35分。

正月の風景 2000年01月03日 00時28分

本日二度目の日記である。

一度目の文章は、ほぼ書きあがったところで昨日から泊まりに来ている甥っ子(1歳9ヵ月)の乱入を受け、ご破算になってしまった。

彼はボタンとか、スイッチの類を押すのが大好きで、目に付くものは片っ端から押さずにはいられないようだ。パソコンのキーボードなどは格好の標的なのである。

嬉々として叩く。がっしゃんがっしゃん叩く。キーを操作することで画面に変化が表れるのがわかると、「お」なんて声を出して画面を指差し、俺のほうを、なぜ?、という感じに不思議そうに見るのである。この仕草がまた大変にかわいらしい。

彼のすることはなんでも許してしまう、という危険な状態にジジババも俺も陥っている。こちらがダメになりそうなかわいさだ。教育上よろしくないことなのかもしれないが、かわいいから仕方ないんである。

本日彼の作成した文章は以下のとおり。1行目は俺との合作である。


。。。。。。今日もお年玉をもらった子どもらが、お年玉袋から現金xsxxxxxx

  jhq\]@bbvg jok,kn。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

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。。。。。。。。。。。。。。。。。、、、、、、、、、、、、、、/081機知増しつつ筒筒筒筒筒筒筒筒ももも縷縷根よねfzXDm98

2000年の1発目 2000年01月01日 19時25分

みなさん、新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


コンピュータの2000年問題による大きな混乱もなく、まずは平静な年初めといったところでしょうか。色々細かい不具合は出ているようですが、大惨事には至らずにまことによかった。ま、今年一杯は気を抜けないみたいですね。2000年のうるう年処理の問題もあるみたいだし。

業界の方、がんばってくださいね。


で、2000年になったばかりですが、いよいよ2001年まで残り1年を切りました。そこで、トップページで、2001年1月1日までの秒単位までのカウントダウンを行うことにしました。去年までの日数によるカウントダウンのバージョンアップ版です。リアルタイムで1秒1秒カウントダウンして行くですよ。

ただ、これがですね。ちと具合がおかしいんですわ。

もうお気づきの方もおられるかと思いますが、ホームページが表示された時、秒の単位が必ず、1、0、から始まってしまうんですな。見ていると、1、0、48、などというものすごい不審な動きをするわけです。なんとカウントダウンを表示するカウンターを表示するためのカウントダウンが行われる、という。わたしはこの現象を、”メタ・カウントダウン”、略して”メタカン”と呼ぶことにしました。

ただ、このロジックは第六文明人の遺跡から発掘してきた物でして、動作の原理がよくわからない。時々暴走するし、しまいに発動なんてされた日にゃ泣くに泣けない・・・なんて『伝説巨神イデオン』を知らなきゃ全然わからないですな。

いや、ただのバグです。すいません。

僕がよそから持ってきたものを無理やり組みこんだんですけど、12月31日(つまり昨日ですな)に1日格闘してこの有り様ですわ。ふがいないったらありゃしない、ふがふが。

そのうち直せたら直します。あ、俺だったらこんなの一発だぜ、というテクノクラートの方がいらっしゃいましたら、是非とも修理をお願いしたいので、メールを私までお願いします。


そういえば、昨日の大晦日、大変不満なことがあったんですよ。日テレの野郎、ユーミンの年越しライブ全然映さねぇじゃんよ。「オールマイティ」と「A Happy New Year」はどうしたんだ、コンチクショウ!

という不満も込めて、最後に松任谷由実の「A Happy New Year」をかけながらお別れしたいと思います。

それでは、明日のこの時間にまたお会いしましょう。アディオス、アミーゴ。

A Happy New Year!

大好きなあなたの部屋まで

凍る街路樹ぬけて急ぎましょう

今年も最初に会う人が

あなたであるように はやく はやく


A Happy New Year!

新しいキスを下さい

そして鐘の音 通りにあふれて

今年も沢山いいことが

あなたにあるように いつも いつも


A Happy New Year!

今日の日は ああどこから来るの

陽気な人ごみにまぎれて消えるの

こうしてもうひとつ年をとり

あなたを愛したい ずっと ずっと


今年も沢山いいことが

あなたにあるように いつも いつも


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