けっこう出たね、うるう年処理の誤動作。
大きいところでは郵便局のATMが立ち上がらなかったとか。まあ、これも全国に2万5千台あるうちの1200台だそうで、その確率は5%程度だから壊滅的なダメージって訳でもなくてよかったというか、ちと残念というか。徐々に復旧したそうだしね。
その他にもアメダスの表示がおかしくなった、ってのもあったし、日付が2月29日でなく3月1日を表示したなんて例はとても多いみたいだ。
2000年問題がたいしたことなかったので油断した、とは内閣官房長官の言葉である。
100年に一度の事態は乗り切ったが、400年に一度のイレギュラーはさすがにハードルは高かったということか。つーか、システム担当の人も忘れてたんじゃねーの?
なぜこういう事態になったのか、というのはあちこちの媒体でさんざん説明されているので食傷気味かもしれないが、一応ここにも書いておこう。
うるう年、というのを『広辞苑』で引くとこういう項目にぶち当たる。
●閏(うるう)
季節と暦月とを調節するため、平年より余分にもうけられた歴日・歴月。地球が太陽を一周するのは365日5時48分46秒だから、その端数を積んで、太陽暦では4年に一度、2月の日数を29日とし、太陰暦では平年を354日と定めているから、適当な割合で1年を13ヵ月とする。
太陽暦を使っている我々としては、4年に1度、2月に29日ができるのがうるう年である。ただし、これでも微小な時間のずれは発生するので、暦を合わせるために100年に一度、うるう年に当たるのに29日のない2月を設けた。しかし、これでもやはりずれは出る。なのでさらに400年に一度、先ほどの条件を無効にして通常のうるう年と同じく2月29日を設けたのである。
例えばコンピュータのプログラムを組む場合、日付を算出する時に、その年がうるう年かどうかを判断するために次のような論理を用いるんである。
今回の問題で日付を3月1日と間違えた、というのは、たぶん上記の”3”の条件が組みこまれていなかったためだと思われる。400年に一度のうるう年なのに、うるう年と認識しなかったため29日をすっとばしてしまったんだろう。
ちなみに郵便局のATMで誤動作をしたのは富士通のマシンで、どうもLSIにそのロジックがくみこまれていなかったらしい。(asahi.com参照)同じ富士通のマシンでも誤動作が起こらなかったのもあったみたいなんで、本当にそれが原因かどうかはわからない、ってのは付記しておく。
俺もプログラマ時代、まさに上記のロジックを使ったCOBOLのプログラムを何本も作ってたんだけど、それは大丈夫だったのかなあ。大丈夫だとは思うんだけどね。
うちの店でもうるう年の誤作動が発生した。
うちの店ではCDかゲームを買ったお客さんには500円ごとに一個、スタンプをメンバーズカードに押している。このカードの有効期限は1年間で、来年の入会した日まで有効となっている。で、新規に入会したお客さんのカードを作った際、問題は発生したのである。
有効期限、2001年2月29日。うるう年でもないのに。なぜだ!?
横からレジのねぇちゃんが言った。
「赤堀さん、来年は29日ないですよ」
実は有効期限って、その場で手書きで書いてるんである。
で、俺がレジでお客さんの応対をした時、いつものように有効期限に来年の今日の日付を書いたら、それが存在しない日だったという話。
ハッと気がつき書き直したんだが、お客さんの手前、かなり恥ずかしかったですな。
イレギュラーな事態に対応できないのは人間も同じだったようで。
俺の使っているプロバイダは「TOKAI」という地方プロバイダである。
なにしろ地方のプロバイダなので、回線も細く会員向けのサービスもあまり充実していないのだが、その分静岡県内にアクセスポイントは隈なく設けられているし、費用も初期費用3,000円+月2,000円で時間無制限と安い。まあ、地方プロバイダにはよくある形態だ。(もっともこのプロバイダは関東にもアクセスポイントを持っている)
インターネットを利用しようとすれば、一般的には最初にプロバイダに加入するという手続きが必要になる。数あるプロバイダから自分の目的や使用形態に合ったものを捜すんであるから、どこがいいんだろうか、と悩むことになる。インターネット雑誌がことあるごとにプロバイダの特集を組むくらい、頭を悩ませている人はよっぽど多いんだろう。だがしかし、プロバイダを選ぶために悩む、というのが実はかなり贅沢な悩みであることにみなさんお気づきか?
俺の住んでいる町にはそもそもアクセスポイントがない。それほど小さい町な訳だが(人口は日本人14,000人、外国人1,000人強)、この辺りでは掛川市と小笠郡は市外局番が共通なので、市内通話でかけられる一番近くのアクセスポイントは掛川市ということになる。だがしかし、ここにアクセスポイントを設けているプロバイダは今日現在で8社しかない。8社ですよ、8社。そのうち4社は県内プロバイダで、他に全国展開しているプロバイダが、
の4社である。なんとも無難な顔ぶれだ。サービス内容が似たり寄ったりの「これでなきゃだめだ」という決め手にかけるので、そもそも悩む余地がない。どれでもほとんど同じなのである。ちなみに8社というのはまだいいほうで、東どなりの局番なんてOCN以外は大手が1社もアクセスポイントを置いてなく、全部で4社しかないのでさらに選択の余地はない。インターネット雑誌にずらずら載っているプロバイダの広告を見るたびに、これはどこの世界の話だ、と眩暈のするような違和感を感じずにはおれないのである。
では、俺はどのようにしてプロバイダを選択したか。
単純である。値段の安さで決めた。俺がプロバイダに加入したのがおととしの12月。そのとき俺は赤貧にあえいでいた。パソコンを買って所持金を使い果たし、新しく始めた本屋のバイトも働き始めたばかりでバイト料が雀の涙ほどしかもらえていなかった。それでも、すぐにもネットに入りたかったので、地方の2,000円均一のプロバイダから選ぶことにしたのである。大手プロバイダは今ほど料金プランが充実していなかったので、高い、という理由でハナから除外した。
主に決め手になったのは次のような理由である。
ポストペットのメールが使える、とか、顧客満足度がNo.1であるとか、そんなプロバイダなんてもともと加入したくてもできないんである。Gatewayだって、Gatewayのプロバイダに加入すればパソコンを安く買えるなんてサービスを組んでいるくせにそもそもプロバイダが近くにねぇじゃねーか。静岡市に直販ショップを置いてるんだから、もう少し県内でがんばってくれてもいいと思うんだけどなあ。
え? それでもNTTのエリアプラスを使えばいろんな大手にも加入できるだろうって? 甘い。味覚糖のカンロ飴よりも甘い。大きい街なんてそんじょそこらにあるもんじゃないのよ、お客さん。
ここから一番近くで人口10万人を超える大都市といえば50万都市・浜松市であるが、ここからではエリアプラスを使っても届かない。静岡県西部でアクセスポイントのある都市を東から順に挙げれば、
掛川(0537)→磐田(0538)→浜松(053)
となる。浜松まで行けばSo-netもDTIもGatewayもその他インターネット誌に広告が載るプロバイダは軒並みそろっているんである。その数、59。掛川の約7倍。「インターネットアスキー」の付録CD-ROMで検索して数えたんだが、途中で数えるのが嫌になった。東京なんてこれよりさらに多いんだろう。数えて見る気もしねぇ。
掛川圏は、静岡市にも浜松市にも届かない中途半端な位置に存在しているのだ。新幹線の駅がある掛川市よりも、浜松圏に隣接する磐田市のほうがプロバイダの数も多いのもうらやましい限りだ。
(余談だが、磐田市の人口は8万人。J1リーグでホームの人口が10万人より少ないチームって鹿島アントラーズ<鹿嶋市>とジュビロ磐田しかない)
その選択の余地の狭さがかなり不満なんである。これから未来に改善されることはあるんだろうか。長野県塩尻市みたいに自治体がプロバイダ立ち上げて市民は無料でインターネットに接続できるなんてサービス、こっちでもやってくれないかなあ。
でも、まあ、そんなことを思いつつも、現在の使用状況自体にはとりたてて不満はない。
速度が遅いと感じることもないし(前は夜11時を過ぎるとちょっと遅く感じたが、回線を増設してからそれもなくなった)、つながらないなんてこともほとんどないので問題はないっていえばない。もっとも、俺は他のプロバイダを使ったことがないんで、明確に比較できるわけでもないんだが。
俺が使ったことのあるパソコン以外の唯一のインターネットインターフェイス。それはセガサターン。モデム(14.4kbps)買って通信したさ。これに比べればどんなとこでも速いに決まってんだろ。
本は日曜と祝日、年に何回かある休配日を除く毎日、運送屋が店に配達する。今日も配達されたのだが、荷物が多く、いつもよりも届くのが遅れて開店後の10時30分ぐらいだった。
それから荷物の数を確認し、伝票の明細に記載された物が実際にあるかどうか検品するべく店の床に荷物を並べ出した。うちの店では事務所や倉庫にスペースがないので、検品は売り場の隅っこ、子供向けの本が置いてある一角でやる。
今日は給料日後の土曜日ということもあってか、開店直後からお客さんが多数来店しており、その検品作業がお客さんの邪魔になっていたことは事実である。荷物も雑誌が全部で28個といつもより少し多めであった。で、本を床に展開し終わって、さて検品しようとしたその時、ご婦人のお客さんに声を掛けられた。
「それじゃお客さんが通れないでしょ」
どうやら彼女はまさに本を置いたその前にある棚のくもん式の子供向け問題集を見たかったらしい。その後続けてこうも言われた。
「どけてよ」
確かに、本を見ようとするお客さんが通れないように並べてしまったのはこちらの不手際である。なので、そこは素直に「申し訳ございませんでした」と謝って本をどけた。お客さんの迷惑にならないようにこれからは気をつけねばならんなあ、と思いつつも、一方で俺の心の声は激しくこう叫んでいた。
「てめぇが通りたいならそう言やいいのに、『お客さんが』なんてわざわざ上段から見下ろしたような言い方するこたねぇだろ、むかつくぜこのババア」
彼女としては無能な店員に説教でもするつもりでそういう言い方になったのかもしれない。しかし、サービス業に従事する身としては、このように、お客はサービスされて当然、店員はサービスして当然、という態度の客が一番腹立つ。店員はお客さんという人間自体を敬っているわけでなく、その人間が「商品を購入してくれる」というこちらの利益になる行為をしてくれるので、その行為と行為の主体である人間に対してサービスを提供しているに過ぎない。いわば客と店とはギブ・アンド・テイクな関係なのに、そこんとこを勘違いして店員に尊大な態度をとる人はかなり多い。
また、そもそも彼女の言葉を俺が気に食わないのは、「お客さん」という相手が反抗できない安全な領域に自分が隠れてからこちらの否を責めていることである。自分が「通りたいんですけど」と言うのはわかる。なぜそれが「お客さんが通れない」に化けるのか。自分の感情を見せずに婉曲な言い方をすることでなるべく摩擦を避けようという意図なのか。実際は逆に、そのような偉ぶった態度こそが人をむかつかせる。自分の意志をはっきり表現しないまま相手に何かしてもらおうなんて、はっきり言って姑息であるし、卑怯であると俺は思う。自分の発言に対する責任なんて、最初からとるつもりはないに違いない。
プロレス会場でよく見る光景である。
試合を終えた選手に対して、特にそれが会場を敵にしているレスラーである場合に多いのだが、一般の観客がそのレスラーに対して罵詈雑言を吐いたり、卑猥な仕草で挑発するんである。それでレスラーがかかってこようとでもしようものなら大喜びだ。余計に挑発にも力が入る。
俺はこれが不快である。なにが不快かって、結局やつらが安全な柵の中から挑発してるってことだ。だいたいこういうことする奴が発生するのは大きい会場に限られており、そこでは花道には柵が設けられてレスラーと観客の間にはかなり間隔が空いているので、お客さんは安心して、安全なところから相手にこれ見よがしの嫌がらせをすることができるのである。仕返しできるもんならしてみやがれ、なんて態度をとる奴もいる。柵のない会場では絶対そんなことしないに違いないのに。くそったれ。これを卑怯と言わずにおれようか。いや、おれない。
前に日記に書いたが、匿名性をかさに着て非難の電話をかける奴とかと同じ類じゃないかと思う。
行動には常に何らかのリスクが伴うものである。それは本人によって常に認識されるべきであるし、不都合が生じた時はその本人が責任を取らねばならない、と俺は思う。(腹を切る、とかね)そのリスクを背負う覚悟のない奴らとはまともに話をすることすら馬鹿くさい。
人間も動物である以上、安全を確保した上で標的(敵・獲物)を仕留めるというのは動物としては当然の行動パターンなのかもしれない。富野アニメの登場人物的に言えば「賢しいな」って感じのそういう態度は、けれども、俺は大嫌いだし、そういうずる賢さを猛烈に憎むね。
文句があるならてめぇの名のもとにタイマンで来いや!(残響音含む)
仕事が手に余るのと、考えすぎるのがよくないんだと思う。だがしかし、俺が原因で起こしたことでもないのに俺が尻拭いをしなければならない、というのは理不尽だ。例えばそういう責任のある立場でそれに見合った賃金を得ていれば話は別だが、同じバイトという立場なのに書籍売り場全体を俺がフォローしてる現状ってのはどうなんだろうか。体制から見なおさねばならないのかもしれない。だ・か・らぁ、なんでバイトの俺がこんなこと考えなきゃいけないんだっての。システム化、というのは単に各店舗にパソコン導入してネットで繋いで情報をやり取りするだけのことじゃないんだって。とにかく負担を減らさねば。こんなセコいこと考えてるようじゃ、大人物にはなれんなあ、俺は。
俺の額がこの2年間でさらに後退しているのは決して睡眠不足のせいだけではないと思う。
(1)
最近、ドリカムのベストアルバムが出た関係で、店内では「未来予想図II」がよくかかっているんだが、
♪わたしを降ろしたあと〜
というところが、
♪わたしを殺したあと〜
と聞こえて仕方がない。
(2)
JUDY & MARYが久々に復活したのでやはり新曲がよく店内でかかっているんだが、
♪Ah hah!
と(たぶん)叫んでいるところが、
♪Ass hole!
と聞こえて仕方がない。
(『ワンダとダイヤと優しい奴ら』を見た影響か。あいつほんと馬鹿だな。"Don't call me stupid!")
ああ、もう、Ass hole!って感じ。
トップページのカウントダウンがまた不審な動きをしている。
55・54・53・51とか、秒の表示が1秒とぶんである。
例によって原因は不明。なんなんでしょうか。今までもこうなってたのか?
怪しげだなあ・・・
俺のパソコンのCD-ROMドライブが復活した。
正確に言えば、動かなくなったCD-ROMドライブを新しい物と交換してもらったのである。
ドライブが沈黙に沈んでからかれこれ数ヶ月も経つんだが、なんかめんどくさくてサポートに電話してなかった。ドライブが使えなくて困ることと言っても、事情があってアンインストールしてしまったNORTON AntiVirusを再インストールできない、ってのとエロビデオCDが見られないってくらいで、必要なソフトはネット上からダウンロードできてしまうし、そもそも俺は新しいソフトを(金がなくて)買わない人なので、平気っていえば平気だったのである。
でもいつまでもこのままにしとくのもちょっとなあ、と先日ふと思った。この間のOutlook Express文字化け事件で、原因不明ながらもちょっとだけビビった俺は、ウイルス対策ソフトはやはり必要であることを痛感したんである。インターネット雑誌にも、ネットを利用する以上はウイルス対策ソフトをインストールするのは常識だ、なんて書いてあるし。(だから前にインストールしてた訳だが)
俺のパソコンはGatewayという通販専門のパソコンメーカのもので(直販ショップも何ヶ所かあるんだが)、購入する時は直接電話するか、ホームページで申し込むことになっている。サポートも同じくである。
仕事が休みの日に電話してみたのだが、さすがに日中は混んでいるらしくつながらないので、確実そうなメールでドライブの不調を訴えてみた。その後、2回ほどメールで、現在の状態と、Gatewayのホームページに載っていた方法で本当に故障かどうか試してみたがやはり動かない旨を報告する、というやり取りがあって、あっさりと新品を送ってくれることに決まった。部品の交換にはもっとうるさい手続きが必要なんじゃないかと思っていたので、拍子抜けはしたが送ってくれるってんなら文句はない。
仕事先に白地に黒い斑点模様の小さな箱が届いたのは確認のメールが届いてから2日後のことであった。最初にメールを送ってから1週間で交換部品が届いたことになる。パソコンのサポートって初めて受けたんだけど、Gatewayの対応は迅速だし、誠意があるし、非常に満足の行くものであった。通販メーカでもGatewayの信頼性が高いってのは納得できるね。
届いたCD-ROMドライブを当日家に帰ってさっそく交換した。
パソコンのガワを開けるのは初めてなんである。かなり緊張した。静電気を帯びた手で触ってCPUをお釈迦にするのが恐ろしく、何回もドライバーの金属部分を触ったりするという、初心者にありがちな神経質さが我ながらおかしい。
滞りなく作業は終わり、実際動いたときはうれしかったね。500円のプラモデル作った時よりも充実感が比べ物にならないくらい大きい。なにしろ、下手なことしたらン十万円がパァである。リスクが大きいほど成功した時の喜びもまた大きいんだな、と実感する。これで度胸がついたので、次はCPUをPentiumIIIに乗せ換えてやろうか。(たいしたことでもないのに盛り上がれるのが怖いもの知らずの初心者の怖いところである)
という訳で、今この日記もユーミンの「FROZEN ROSES」をエディタの裏で掛けながら書いているのである。快適である。NORTON AntiVirusの再インストールも終わったし。心がちょっとだけ軽くなった気がするのは、やはり動かないCD-ROMドライブが心のどこかに引っかかって知らず知らずのうちにプレッシャーを感じていたのだろうか。小心者の俺としてはありそうなことだ。
しかし、いざ動くとなると、もう使ってみたくて仕方がない。なんか新しいソフトが欲しくなっちゃうのがちと困ったなあ。
「なのはな体操」がなんだかわかったよ。HIDEOくん、ありがとう。
なんでこれが知りたかったかというと、『幕張サボテンキャンパス』の中に、
「なのはな体操といえば千葉の魂……
この地で教育を受けた者なら誰の身にも染み付いているはずなのに……」
という台詞があったんである。それで興味を持ったというわけだ。
上の台詞を読んで、千葉県内では幼稚園のお遊戯とか、小学校の体育の時間にみんなでやってんのかな、と思ったんだけど、そうではないみたいだね。
「なのはな体操」みたいな、その地方の人間だけがわかる特別なものってあるよね。
県外では知られていないマイナーな観光地とか、ローカルのテレビやラジオの番組とか、県外で同県人とたまたま出合ったときなんかにその話題で思わず盛り上がっちゃうことがある。単に知っている、というだけでなく、同じ体験を共有してる、というのが強みである。「きみも見てたのか、俺も見てたよ」なんて、思わずうれしくなって話が弾むんだよな。
こちら静岡にも、そういう意味で静岡人の心をつかんで放さない強烈なものがひとつある。
それは「学生服のやまだ」のテレビCM。
うちにテレビを持っていて、これを知らない静岡人はモグリだと言っても過言ではない、というくらいにそのCMソングが印象的なんである。しかも、これは俺がガキの時分にすでに流れていたのだが、おととし10年ぶりにこちらへ戻ってきた時、テレビから全く同じこのCMソングが流れてきて、「まだやってたのか!」とたいへんびっくりした。
やはり昨年高校卒業以来で静岡に戻ってきたジュビロ磐田の三浦文丈選手(清水商→筑波大→横浜マリノス→京都サンガ→ジュビロ磐田)もサポーターズマガジンの雑談コーナーで「学生服のやまだのCM、まだやってるんだね」と感心していた。その後、山西選手(清水東高卒)といきなり二人で歌い出したもんなあ。「おお、文丈、俺も同じこと思ったぜ」って、妙にうれしくなった。
ちなみに、こんな歌詞である。
俺たちにゃ 明日がある〜
俺たちにゃ 夢がある〜
俺たちにゃ 掟が〜ある〜
学生服はやまだ やまだ〜
テレビ局の数が少なかったり、都会で流行ってるものが店になかったりと、情報量では圧倒的に大都市に負けている地方ではあるが、こういうところに数少ないお楽しみはあったりする。
それを思えば、地域密着をうたっているJリーグの各チーム、特に地方都市をホームとするチームは、この「学生服のやまだ」のCMみたいな存在になんなきゃいけないよねえ。積極的に「地方の魂」を揺さぶってほしいものである。
「幕張サボテンキャンパス」1〜5巻(竹書房)を読んだ。みずしな孝之の漫画である。
俺はあまり4コマ漫画を読まないんだが、「週刊ファミ通」で連載している「みずしな孝之のいい電子」というのがやたらにおもしろく気に入ったので、他の漫画も読んでみるか、と思って買った。この人は他には「ササキ様に願いを」とか「戦え!アナウンサー」とか書いてるらしい。
千葉県幕張の大学でキャンパスライフを送る学生連中を描いたギャグ4コマである。一人暮しの生活模様なんかはけっこう俺にも思い当たる節とかあってなかなか笑えた。
主人公(なのか?)の柏明日香の部屋の散らかり具合とかも、とても他人とは思えない。
で、登場人物に津田沼聡という人がいるんだが、その温厚そうで折り目正しい性格とか、やせ型で仲間の中では背が高い方でさだまさしが好きなところとか、大学の同輩Yくんを思い出さずにいられなかったのもちょっと楽しかった。
ところで、「なのはな体操」って何?
今日も仕事は休みだった。
と書くとなにやら無職男の哀愁物語「僕に仕事を下さい。一生懸命働きますから」(五代くん調)な感じだが、なにしろお店勤めなので連休がなく、細切れにしか休みがないためこのような感覚に陥ってしまうのである。仕事はだいたい週休2日なんだけどね。
で、何をしているかというと、ビデオを見て小説を読んでマンガを読んでいるのである。
今日は久しぶりにプラモデルを作った。そう、すげぇ久しぶりだ。前にいつ作ったかなんて覚えてないくらいだ。
作ったのは「BB戦士 RX-78-2ガンダム」である。
”BB戦士”ってのは、アニメの「機動戦士ガンダム」シリーズに出て来るモビルスーツを子供向けに2頭身にデフォルメしたもので、キャラクターがみんなかわいらしい頭でっかちの姿になっているのである。
俺が買ったのは、そのシリーズの中で、No.200を記念して発売されたいわゆる「初代ガンダム」ってやつだ。値段も500円と安かったので、なんかおもちゃ屋で見てたら無性に欲しくなり、同じく「ガンダムGP01Fb」と「ガンダムF91」も一緒に買ってしまった。
しめて1500円。いわゆる「大人買い」である。子どもの頃に欲しくてしようがないのにお金がないため買えなかった、という怨念がこういうところで爆裂するんだぜ。(ケーキをまとめて6個買って全部自分で食べちゃったりとか、したりしない?)
久しぶりなのでけっこうワクワクしながら作ってみたんだけど、今のガンプラは凄いね。
接着剤を使わないようになった、というのは知ってたが、塗装しなくてもある程度色がついてるので、組みたてただけでもそれなりに仕上がってしまう。色別にパーツが分かれていて、そのパーツを組み合わせるための方法もかなり工夫がされているのである。関節もフルに稼動するくらいなので、それだけパーツが多い。500円でこうなんである。ガキの頃買った全身ピンクの「シャア専用ザク」(300円)と比べると雲泥の差だ。
技術の進歩もあるんだろうが、これってきっと小さい頃ガンプラ作ってた奴らが大人になって製造者側に回り、「俺のガンダムはこうじゃねぇ」とかこだわりまくってるんだろう、などと想像するとたいへん愉快である。
ただ組みたてたらどうなるかなあ、と思って、試しに色も塗らずパーツの繋ぎ目をパテで埋めることもしなかったんだけど、出来あがったらカッコイイんだわ、これが。ちなみに完成まで3時間かかったのは俺が不器用だからなのか、このキットのパーツが多いせいのか。まあ、このキットがNo.200記念のモデルで特別仕様だったからここまでできがいいのかもしれない。他はもっとおぞい(静岡弁)のかなあ。
でも久しぶりにプラモデル作ってすげぇ楽しかった。新しい楽しみの発見だ。「GP01」を作るのが楽しみだ。埃をかぶったまま眠っている「ジュノーン」と「パトラクシェ・ミラージュ」もそのうちなんとかしよう。
「ロリータ」を観た。
スタンリー・キューブリック(クーブリックでもいいんだけどよ。かてぇこと言うな)が監督した映画である。原作はナボコフって人が書いた小説で、新潮文庫から出てるんだが、俺は読んだことはない。
これは狂おしい映画だった。そしてまた悲しい映画だった。どんどん人の道踏み外していったその果てに思いが報われなかった時、おじさんが結局ああいうことしちゃったのは、俺はわかるなあ。
俳優ではピーター・セラーズが素晴らしすぎ。
今この映画を見て思ったんだけど、キューブリックの映画って、人間の変節をあつかったものが多いのか?
少なくとも俺が見た彼の映画では。
「フルメタル・ジャケット」なんてモロにそうだし、「シャインニング」もそうだ。「時計仕掛けのオレンジ」もまさにって感じだし、「2001年宇宙の旅」も一人の人間の変節を描いたものと見ることもできるだろう。(人類の進化を描きたかったクラークの小説版を我々は信じすぎてやしないか? おお、クラークファンとも思えぬ言葉。いや、これもいま思いつきました)
あとは、「博士の異常な愛情 又は私は如何にして心配するのを止め水爆を・愛する・ようになったか」なんて、題名からして変節ってる。が、内容はそうだったか? 逆に戦後になっても変節してなかったDr.Strangeloveがギャグになってたな。
なんだ、俺ってまだ6本しかキューブリックの映画を見てないのか。むー、まだそういう予測を立てるのもおこがましいか。
他のも見てみよう。次は「スパルタカス」にしようかな。
ああ、そういえば「ロリータ」の最初の方で「スパルタカス」って登場人物が言ってたね。
「信ずる者は救われる」という。
だから信じなさい、という、なんらかの絶対的な存在への帰依を迫る言葉である。
信じた者が救われる、というのなら、逆に言えば、信じないものは救われない、ということだ。
多分にその依存する価値観の範囲外のものに対しては排他的である。
なので、こう言い換えることもできる。
「信ずる者しか救われない」
また、信じる、というのは相手のことを無条件に自分の中に受け入れる、という行為だ。それはかなり一方的な思い込みである。
テレビのバラエティ番組で「やらせ」が発覚すると、必ず「だまされた」とか言って怒る人が出る。本当のことだ、と信じていたわけだ。ある意味純粋だ、とも言えるのかもしれないが、はっきりいって愚かである。
なのでこうも言ってみる。
「信ずる者はだまされる」
もうひとつ新人選考会の模様を掲載したいと思います。
今度は、いまは亡きSF誌「奇想天外」で行われた新人選考会です。これは当時高校2年生だった新井素子が佳作入選した新人賞で、彼女のデビューのきっかけになりました。
いずれ新井素子研究会のホームページに掲載する予定だったんですが、先日の日本ホラー小説大賞の選考過程をアップした時に、「そういえばあれがあったな」と思い出し、ホームページの公開より先にこれだけ公開することにしました。
こちらの審査員は、故・星新一、小松左京、筒井康隆、と、日本SF界の大御所が勢ぞろいといった感じです。
新しく出てきた自分たちに理解できない才能をどう評価するか、といった点で、星新一のとった態度というのがまったく凄い。新井素子はデビュー後、同世代からそれ以下の世代の少女たちの絶大な支持を受けベストセラー作家になりましたから、その慧眼には敬服する他ありません。
新しい才能をめぐるやりとりについて、「日本ホラー小説大賞」と「奇想天外新人賞」、両者を比較してみると面白いと思います。
そうそう、川又千秋というSF作家がこんなことを言ってたのをついでに思い出しました。
「本を読むことは、自分を読むことに他ならない」
興味のある方は、こちらからどうぞ。
あの文章とは、「第5回日本ホラー小説大賞」の選考過程の模様です。
「本の旅人」角川書店 1998年6月号 P.34〜43に載っているものを、エディタで文書ファイルに入力した上、HTMLファイルに起こしました。
これを読むと、審査員の方々が、どういう考えでもって『バトル・ロワイアル』その他の応募作を落としたかがわかります。
読んでみたい方は、こちらからどうぞ。
ちなみに、ページの色はホラーということでなんとなく黒にしただけで、それらの色使いに特に他意はありませんので。
この人たちの言っていること、どう思いますか?
日記を描く気分ではないな、とか思いつつもすでに日記を書いてしまっている、というこの矛盾。
前にも書いたけど、なんかのテーマを設定しない文章は書くのが楽で、おまけに「今日の業務を完了した」という満足感をも味わうことができてたいへんよろしい。だが、それは俺の目指すところではなく、あくまでも息抜きであってしかるべきではないか。
とか思ってたんだけど、やっぱりやめた。
楽な方に流れて行くのはちょっと違うな、とはいまだに思うんだけど、でもそんなに肩肘張ることでもないだろ、という気分がいまの俺では優勢なんだよな。なんつーか、書きたいことってのはいくつか持ってるんだけど、それを無理やり文章にしてもなんか俺がおもしろくないし。で、前にもそれで連載やめちゃってるし。
自然に書けるような状態に俺の内圧が膨れ上がればいちばんいいんだけど、でも、こういうのってよっぽどなにかきっかけがないとそうはならないんだよなあ。例えばなにかに対する怒りってのは強い動機になりやすい。『買ってはいけない』を読んで「こいつら、気にいらねぇ」とか思っちゃうような。あ、そういえば、『美味しんぼ』にはまだ怒ってなかったな。これもそのうちに書かねば。
つまりは、いま俺は日記に関してモチベーションが下がっている、ということなんだろうか。って、自分で聞くな。そうです。倦怠期というか。お互いをもっと冷静に見たほうがいいと思うの、ってそれっきりになっちゃうのがこわくて関係だけは続ける、みたいな。
ま、こういう矛盾した気分を抱えつつも俺の「日記」は続く、というお話。
酔っぱらった。遺跡発掘のバイトのときに知り合いになったメンバーで、飲み会をやって、今帰ってきたところだ。お好み焼きで腹いっぱいになったし、Mさんをいじめたりしてすげぇ楽しかった。
思考がまとまらないが、「日記」を書く。
第5回日本ホラー小説大賞の選考過程の模様を掲載した「本の旅人」が手に入った。1998年6月号である。この選考会で「バトル・ロワイアル」が落とされたという情報を聞き、わざわざ角川書店に注文して取り寄せたものだ。
選考委員は、荒俣宏、高橋克彦、林真理子の3人である。選考委員の底の浅さが見える誠にご立派な選考過程であった。ま、これくらい頭が固い人じゃなければ審査員なんて業務は勤まらないんだろうけどさ。
俺としては、高橋克彦という作家は人の小説を審査できるようなレベルの作家ではないと思っていたので、それが偉そうに人の小説にケチつけるのを読むと片腹痛いって感じがする。
これについての感想は、そのうち書いてみるかもしれない。
『ゲームの話をしよう』という本を買った。
アスペクト発刊で、値段は1300円+税。永田泰大が著者として名前が上がっている。これは「週刊ファミ通」の編集者である彼(編集ネーム:風のように永田)の「週刊ファミ通」に連載しているコーナーを単行本化したものだ。
内容は、ゲーム関係者(開発者、編集者、漫画家、ミュージシャン、その他周辺の人々)と風のように永田がゲームについて雑談(そう、雑談)する、というだけのものであるんだが、それがとにかくおもしろい。ゲームについての俺にとって意外な方向性を発見することがある。俺はこのコーナーを毎週楽しみにしているので、この本も待ってましたとばかりに購入した。ゲーム好きの人は読んでみるといいと思う。
「ファミ通」って、一部ではボロクソに言われているけど、週刊誌としての完成度とか、連載漫画のおもしろさとか、ゲームという現象の分析力とか、他のゲーム誌をよせつけないほど突出した雑誌だと俺は思っている。だから売れるんだよ、悔しかったら当てこすりはやめておもしろい雑誌つくってみろ「週刊ドリームキャストマガジン」。
なんか他にも書くことがあるような気がするんだが、やめとく。寝るぜ。
万引きしたことありますか?
俺はしたことないんですが、けっこう普通のことのようですね。
バイト仲間の20歳くらいの女の子も昔やってた、とか言ってました。
うちの店でも多いです。
雑誌の間に本から抜き取ったスリップが挟まれていたり(スリップがなければ買ったものか盗んだものかわからないからだそうです)、CDやゲームに付けている万引き防止用のプラスチック・ケースが割られて本の棚の間に隠されてたりとか、ほとんど毎日のようにありますね。
ジュビロ磐田スタジアムのとなりにあるショッピングセンターの中にうちの店と同系列の本屋があるんですが、前にスタジアムに向かおうとスタジアムとショッピングセンターの間の道を歩いていたら、「GTO」のスリップが1箇所に大量に捨てられているのを発見したことがあります。たぶん盗んできたものなんでしょうね。
俺はとてもむかついています。店が被害を受けている、ということも多少むかつきますが、それよりもそんな姑息なことしかできないやつらが一杯いることが不愉快です。もってくなら堂々ともってきゃいいのになんでコソコソするんだろう。俺はしたこともないししたいとも思わないので、全然その辺の気持ちってわからないです。わかりたくもないけど。でも、すごい中途半端な犯罪だな、万引きって。ああ、だから中高生とか主婦が気軽にできるのか。はっきり言って情けない。で、また俺がそんなくだらないことに関りあわなければならない、というのにものすごくイライラするわけです。
俺は現行犯で見つけたら、その場でそいつをぶん殴ってやろうと思っています。大人でも子どもでも男でも女でも関係ないです。法律も警察も学校も関係ないです。俺が不愉快だから、殴ります。
新日本プロレスの試合がおもしろい。
昨日の夜中に「ワールドプロレスリング」を見た。静岡では東京から一週遅れで水曜の夜中に放送している。昨日は”ファイティング・スピリット2000”のシリーズ開幕戦、東京・代々木第2体育館の試合だった。
あの、問題の1月4日東京ドーム大会後、初のシリーズということで、果たして選手はどのような試合をするのか注目していたのだが、これが俺の期待を裏切らない異様に殺気だった試合が行われていた。
ジュニアヘビー級のタッグマッチでは、「黒い」ライガーが1月4日同様に妥協のない試合運びで、このシリーズ中にIWGPジュニアヘビー級のベルトに挑戦することが決まっている(すでに試合は終わった)バトラーツ所属の田中稔選手を容赦なく攻めまくっていた。相手がダウンしようがお構いなしに張り手や蹴りを見舞っていくのである。またしてもライガーがこわい。
しかもこの試合では、田中選手がそれに対抗するかのように同じくダウンしたライガーを蹴りまくったり、関節を極めたりしたのが余計に見ている俺を熱くさせた。ライガーの「こんな試合してていいの?」という問いかけは、着実にジュニアヘビー級の選手の闘いの方向性をより「ストロング」な方へと変えていっているように思った。
さらに凄かったのがその次のタッグマッチである。1月4日に小川・村上組を相手に目の覚める(た)ような闘いぶりを見せた橋本・飯塚組が、現IWGPタッグチャンピオンの中西・永田組とぶつかったが、なにがすごいって、こんなの飯塚じゃねぇよ、ってくらいの飯塚の強さと存在感だ。
頭を短く刈り込み、なにやら身体もひと周り分厚くなったかのように見えたが、変わったのは外見だけではない。攻撃が容赦ない。永田の蹴り足をとったと思ったらそのままグラウンドにもつれこみアキレス腱固め、極まらないと見るやすかさずヒールホールドに移行する。試合序盤でこれである。思わずリングスのマットかと錯覚するような試合はこびだ。さらにはカットに入った中西をも試合中にスリーパーホールドで絞め落としてしまった。隙あらば極める。これである。
試合は結局、橋本・飯塚組が現チャンピオンをぶち破ってしまった。最後は橋本が三角締めで中西からギブアップを奪った。橋本の殺気も爆裂していた。橋本も飯塚も、こりゃもうただごとじゃねぇよ。
俺は興奮した。思わずTVの前で大笑いしてしまった。あまりの想像を越えた出来事に遭遇したため、精神のたがが外れてしまうのである。(試合会場でもこういうことがよくある)たいへん愉快であった。純・新日の試合でこんな試合、最近なかった。
橋本・飯塚がこうなってしまった以上、他のレスラーだって安閑としているわけにはいかないだろう。現にタッグチャンピオンが負けちゃってるのである。この殺気の前には安易なプロレスはひとたまりもない。昨年1月4日から始まったうねりが、ジュニアヘビー級のライガー、ヘビー級の橋本、飯塚から、ようやく新日本プロレス全体に波及する大きな動きになったようだ。
新日本来の「黒」、ストロングスタイルとしての 「黒」が、いままさに復興しようとしている。まさに、新日ルネッサンス。それは、「闘魂復興」。
昨日「トゥナイト2」を見ていたら、「料理の変人」というリポートを北野誠がやっていた。料理に妙なこだわりを持つ料理人を紹介する、という主旨らしい。で、元ホテルオークラのシェフがやってるラーメン屋で、どうみても下町の普通のラーメン屋なのになぜか洋食やコース料理が食べられる店、とかにまじって、俺んちのとなり町の店が紹介されていた。
その名も「学校へ行こう」。
ここはBarなのだが、そのコンセプトが変わっている。店内のテーブルや椅子に学校で児童・生徒が使うあの机・椅子を使用し、内装も教室そのもの。まさに給食の時間みたいに机が並べかえられている。その上、これが最大の売りらしいんだが、つまみとして俺らが子どもの頃給食に出てきたものと全く同じものが食べられるのである。
そこで紹介されていたメニューにはこんなものがあった。ソフトめん、あげぱん、くじらの竜田揚げ、ミルメーク。名前を聞いただけで懐かしさ爆発である。
わざわざ東京から取材に来るくらいだから、よっぽど珍しいんだろうか。珍しいんだろうな。どうもこの店、「トゥナイト2」以外でもTVに取り上げられているらしく、その辺りじゃ有名な店なんだそうだ。
俺の勤めている本屋がまたその店に近く、前に一度、その店の場所を聞きに立ち寄った人の応対をしたことがあった。俺はそんな店のことなどこれっぽっちも知らなかったので、「TVで見たんですけど」とか言われてもなんのことやらさっぱりわからない。なので地元民のバイト仲間に聞いたら彼はバッチリ知っており「有名みたいスよ」と言っていた。
そうなんだあ、とおぼろげにその店のことは認識したが、「トゥナイト2」まで取り上げるとはなあ。さすが”オヤジ版「王様のブランチ」”。(この比喩は静岡県では通用しない。「王様のブランチ」を放送してないからである)
俺自身は一度もその店に行ったことがない。何度もその店の前を車で通っているはずではあるが、気をつけて見てないせいか、いまだにどこに店があるのかも知らない。
しかし、そうか、「ソフトめん」か。
「ソフトめん」ってのはたまらなく郷愁をそそるもんがあるよなあ。俺が小学生の時は月に一度くらいの割合で出てたような気がする。ミートソースの中にぶち込んで食べるこのメニューは、給食時間の数少ないお楽しみだった。その日、休んだやつがいようものなら、まっさきに給食を全部たいらげて、お代わりを得る特権を級友と競い合ったものである。(全部食べ終わった人からお代わりしてもよい、というローカルルールが設定されていた。人気のあるメニューの時は参戦してくるやつも多く競争は激化した)
たしかに今となってはどこでも食べることのできない食い物だもんなあ。子どもの頃、あれだけ楽しみにしてたんだから、あれば今でも食べてみたくなるよね。そうか、大きく取り上げられるのもなんとなくわかってきた。
今度「ソフトめん」食いに行ってみようかな。
今日の静岡県西部地方はとても寒かった。
俺は仕事が休みなので、1日中部屋の中でビデオを見たり本を読んだり自分のホームページをいじくったりしていたのだが、日中でも暖房がないと手がかじかむほどである。外からは「遠州のからっ風」の吹き荒れる音が聞こえてくる。
夕食前の運動のため、物置に行こうとして外に出れば、強い風と透明な冷気が肌を刺した。
こういう時は、身体が冷えて縮こまっているのでいつもより筋肉の稼動範囲が狭く、運動をしても身体を痛めてしまう恐れがある。もう若くないんだから気をつけようと、自虐的にでもなく思っていたのだが、やってしまった。
首である。
腹筋運動のとき、俺は両手を頭の後ろで組み合わせて首の補助としているんである。それが今日はどうした加減か力が入りすぎたようだ。腹筋を終えて、背筋運動をしようと立ち上がると、ズキンと首に痛みが走った。どうやら腹筋運動で上半身を持ち上げる際、補助として添えた頭の後ろの手に必要以上に力が入り、無理に頭を押したために首を痛めてしまったらしい。中学の時の部活なんかでもこれはやった覚えがある。
しかし、この年になって再びこういう現象に遭遇しようとは思わなかった。やべぇと思ったがもう手遅れである。じっとしている分には痛みはないが、首をどんな角度にでも動かそうとすれば、たちまち鈍痛が首を襲う。痛みの感じからして痛めたのは筋ではなく骨のようである。たぶん骨が少しずれて、神経を圧迫しているのであろう。今日は結局首の運動をメニューから外した。
困ったのは、他の運動をやろうとしても首はどうしても動いてしまうため、そのたびに痛みを感じることだ。他はいつもどおりにやったのだが、腕立てにしても一回身体を上下動するたびに首が痛むんである。それでもまだ首以外は全然動けないというほどでないから運動に支障はないようなものの、首の運動はちょっとこれはできんだろう。時間をかけてちょっとずつ首を太くしてきたのに、運動しなければまた細くなってしまうじゃないか。今までの努力が水の泡か。悔しいなあ。
それにしても、首の運動をしていて痛めた、というならまだわかるが、腹筋していて首を痛めた、というのは我ながらかなりお間抜けである。
”美獣”ハーリー・レイスというレスラーがいた。まだ権威があった頃のNWA世界ヘビー級チャンピオンで、トップロープの上に立ち、そのまま寝ている相手の上に倒れこむという無茶なヘッドバットを得意技にしていた。(この技大好き)
先日、日刊スポーツのサイトで見たような気がするんだが、このレイスが、現役を退いてから、首と腰の障害に身体をやられ、先ごろも手術をした、という記事が載っていた。(と思う。うろ覚えですまん) やはり、あのヘッドバットのような技は首にかなり負担がかかっていたのだろう。そうでなくても肉体を極限まで酷使するのがプロレスラーという人種の性である。
引退した長州力もやはり首がそうとう悪かった。雑誌のインタビューに答えて言った「俺の首は全治一生だから」という壮絶なセリフは、読者である俺にプロレスラーというものの在り方と凄さをまざまざと刻み込んでくれた。
そんな故障を抱えながらも、プロレスラーは闘う。現役の選手を見れば、蝶野正洋がやはり首に大きな爆弾を抱えながら試合をしているし、武藤敬司の膝もロングタイツの下に分厚いサポーターが巻かれているのがわかるほどにボロボロだ。
俺が、首を痛めた、とかいうのもそれに比べればクソみたいなもんだ。だいたい、俺は無理してまでやらなくても誰も責めたりしないが、彼らの場合はそうはいかない。試合をし続けなくてはいけないし、さらにいえば、それを評価する観客の目というものもある。痛いから、といってヘタな試合をすれば、それはそのまま人気に跳ねかえってくるのだ。並大抵の根性でできるもんではない。
だからといって、プロレスラーに負けないように俺もがんばろう、という気は毛頭ない。ただし、俺の決してできないようなことをやっている現実の超人たちへの敬意だけは、これだけは忘れてはいかん、と胸に刻み込まねばならない、と思う。
昨日記した不具合について。
>○タイトル下の、線で挟んだ位置に表示しているこのページついての説明が左に偏る。
という点を修正した。
なんてことのない修正で、むしろいままでよりもHTMLの書き方が単純になってよかったと思う。構造化されたソースってなんて気持ちがいいんでしょう。
このようにほぼ毎日、このホームページのどこかに不具合が見つかり、それを修正する、という作業をしている。もともとHTMLの知識を身につけようと思って、あえてホームページ作成ツールを使わずに直接HTMLを記述しているのであるが、これがなかなか最近は面倒くさくなってきている。
いや、直したりすること自体は楽しくて仕方がない。不具合が見つかるたびにHTMLについての新しい発見があって、手応えというか充実感を感じっぱなしだ。(のめりこみ度が高い分、独り言は確実に増える。「なんだよ、これ、わかんねぇよ」とか「そうか、こうすりゃできんのか」とかぶつぶつ言っているアニキをとなりの部屋の妹はどう思ってるんだろうか)
ただこれに時間を取られると、肝心のホームページ内の文章を書く作業とか、新しいページを作る作業だとかが滞っちゃうからなあ。
修正にそんなに時間をかける俺が全面的に悪いんである。適当に切り上げて他のことをやればいいんだよな。でも気がつくと修正を始めた時点から平気で3時間とか経っている。こんなんだから「お見合い結婚」を見逃すんである。(第3話見てないんすよ)
まあ、メリハリをつけて仕事しましょうね、って話だ。
これくらいやってるんだから、履歴書の趣味の欄に「ホームページ作成」とか書けるよなあ、なんて思ったりして。俺の場合はホームページを公開することも目的ではあるが、作る作業自体が楽しくてすでに自己目的化している、というのがまさに趣味として書くのに最適だと思うんだがどうだろう。コンピュータが日常にかなり浸透してきている今では、けっこうプラスの印象を与えるんじゃないかな。
でも、逆にそれで企業の採用担当者が俺の日記を読んで、「ダメだ、こりゃ」とか思うこともあるかもしれんなあ。諸刃の剣ってやつか。
そう考えると、自分の考えを文章にして公開している、というのもなにやら大胆な行為だよなあ、とも思えてくる。俺としては公開することのデメリットなんかも考えた上でやってることなんで、自分の中では了解済みでいまさらどうこう、ってのもないけどね。「覚悟、完了!」って感じ。
ただ、他の人から見れば、きっと文句をつけたくなる点とか、そうじゃねぇだろ、とか思うこともあるとは思うんで、そういう時は掲示板でもメールでもいいんで、ちゃんと納得が行くまでやりあいたいなあ、と思っている。こういうのってありですかね。
今月初めの日記、「色気より食い気」で、Netscape Communicator4.7の留意点としてあげた
>○タイトル下の、線で挟んだ位置に表示しているこのページついての説明が左に偏る。
というのは、NCに限った話ではなく、要はページの表示を標準より小さいフォントで行った場合起こる現象だということがわかった。つーか、もっと早く気づけっての。なので、Internet Explorerでも小さいフォントを指定した場合はこうなります。
「ウルトラマンティガ」を見ている。
TV放送の時は見逃した回があったので改めて見返しているんだが、おもしろいぞ。
これをおもしろいと思うのは、俺がSF、アニメ、特撮を常人よりも好む「大きいおともだち」であるからで、普通のおとなの人が楽しめるものなのかはいまいちよくわからない。が、俺はこれを見て心から笑ったり泣いたり感動したりするのである。子供向けだからと言って馬鹿にできないくらい、各話の完成度は高いと思う。
まだ途中までしか見ていないので、これから先が楽しみだ。
川崎郷太監督はただもんじゃないね。なんで「ダイナ」と「ガイア」では干されちゃったのかなあ。
『バトル・ロワイアル』(高見広春・太田出版)を落とした日本ホラー小説大賞(角川書店主催)の選考の模様を記した資料が手に入りそうだ。なんて大げさに書くまでもなく、その審査の模様は角川書店のPR誌「本の旅人」で毎年読めることになっている、ということがわかったんである。これは月刊で各書店に配布されている雑誌で、当然のごとくうちの店にも毎月送られてくる。しかし、いままで俺は中を読んだことがなかったので、そんなことは全然知らなかった。
1999年の大賞受賞作『ぼっけえ、きょうてえ』が選ばれた選考会の模様は1999年5月号に載っていたようなので、このあいだ角川書店にその前の年(つまり『バトル・ロワイアル』が落とされた年)の5月号を注文してみた。在庫がなければ折り返し連絡すると言っていたが、いまだに連絡がないところを見るとあったのだろうか。
あの作品がどんな風に言われているのか読むのが楽しみである。
本の売上を伸ばすには、どうすればいいのだろうか。すごく悩んでるんだが、これはアルバイトの領分を越えた悩みだと思うよなあ。
いろいろと書きたいことはあるのだが、なんか今日はパワー不足でこういう日記になった。構成を考えなくていいので、このようなただの文章の羅列は非常に書くのが楽だ。が、それではわざわざホームページをつくってまで日記を書いている意味がない。肩肘張って頑張っているわけじゃないので、たまに息抜きでこういう日記を書いている。が、なんのテーマもない日記しか書けないんだったら、俺の目指すところとは違う、という意味で、書かないほうがましかな、とも思う。(とか言いながら書いちゃうんだけどね)
「日本酒について」の中に「静岡県の酒 一覧」というページを追加しました。
県内の蔵元を東から順に並べただけの、ホントにただの一覧です。作るのは簡単だったけど、いまいち面白味がないのが難であります。なんとか静岡の酒というものを広くアピールしたいなあ、という動機で作っているのですが、もっと工夫は必要だよなあ。
俺としては、地元の人間でさえも地元にうまい酒があるなんて知らない、という現状を何とかしたいんですよね。表を見てもらうと、俺の住んでいる小笠郡には四つの蔵元が存在します。でも、冠婚葬祭の時に贈り物として使われる酒は、日本盛とか大関とかテレビでコマーシャルやってるような酒が多く、地元の酒が使われることはめったにないです。それってなんか、非常に悔しい。地酒というものが、一部の愛好家のものでなくもっと地域に密着したものにならんかな、と密かに思ってるんだけど。(こっちでも日本酒のよさをわかってもらおうと力入れてやってる店とか人はいますけどね。頭が下がります)
まあ、ご覧になる方におかれましては、なんかの折の役に立ってくれれば光栄です、という感じです。
ちなみに、種本は『地酒をもう一杯』(静岡新聞社)という本です。
1998年発行の本なので、掲載したデータも1998年現在のものとなっています。
今日帰宅してまずしたことは、パソコンの電源を入れることであった。
いつもは早くても夕食後なのだが、昨日はMicrosoftのサイトからWindowsの更新ファイルを落としたり、ダウンロードサイトからフリーソフトを落としたりしたので、動作確認の意味合いもあって、早い時間の立上げとなったのである。
スイッチを入れると、パスワード入力ウインドウに続いて、「バビロン」のスタート確認画像が表示された。この英文翻訳ソフトも昨日ダウンロードしたソフトのうちのひとつだ。このところ海外のサイト(非エロ)を見る機会が少なからずあり、俺の脳みそがI/Oに多大な時間を要するんで、なんとかならんものかと思って導入することにしたのである。これが便利は便利なんだが、勝手にメモリに常駐していやがって非常にうっとおしい。必要なときは呼び出すからそれまではしゃしゃり出てくるなコンチクショウ、って感じだ。その設定も変えてやろうか、とも思っていた。
最初にメーラのOutlook Expressを立ち上げた。
メールのチェックは基本である。必ずと言っていいほど俺が最初にすることはメーラの立上げだ。それなら自動的に起動するように設定しとけばよさそうなもんだが、それは嫌なのだ。ネットにつなぐかつながないかは俺が決めなければダメなのである。他人が俺のためによかれと思って全くの善意からこちらの望んでもいないことをしてくる、なんてのはうざったいことこの上ない。はっきり言って余計なお世話だ。
だから、俺のパソコンでは、メーラも俺が接続しない限りはネットに繋がないし、ブラウザも最初に表示されるのは"about blank"なのである。どのサイトを最初に見るか、なんてのは、その日その時俺が決める。勝手に設定してんじゃねぇよMicrosoft。ポータルサイトという言葉は俺の辞書には存在しない。
メーラの画面が表示されると同時に叫んでしまった。「なんじゃこりゃああ!!」
そこには記号とアルファベットの混合した訳のわからない文字の羅列が!
メールの中身を表示するウインドウの上の「件名」がこんなふうになっていた。さらには、メールの中身も表示されていない。ウインドウはまさしく"about blank"、まっしろけのけ。ついでにその右上にはあるはずのない添付ファイルがあることを示すクリップマークが不気味に輝いているのであった。
通常ならばメールの件名は日本語で表示され、その中身が表示されているはずなのである。
受信一覧のウインドウはちゃんと日本語で表示されていたので、他のファイルも確認してみようと、そのメールをクリックしたら、途端にその件名が羅列に化けた。見事な早業であった。あとは同じ現象である。メールの中身は空白、右上にはクリップマーク。
あまりに不可解な現象に頭ん中はパニックである。なぜ? の嵐。
すぐに思ったのは、これはウイルスの仕業では? ということだった。
ダウンロードしたフリーソフトの中に、もしやヤバイものがあったのではないか。こんなことするウイルスって聞いたことないけどあるんだろうか。だとしたら一体俺はどーしたらいいの。ウイルスったらワクチンが必要か。でも、ちょっと前までは仕込んでいたNORTONのAntiVirusは都合により現在削除してしまっており、しかもCD-ROMドライブも現在動かねぇ。八方塞がりか。病気のパソコンではメールも送れねぇ、となれば友達に連絡もできねぇ。ああ、みんなが遠ざかって行く。みんな俺を置いていかないでくれェェェェ、と実際に思ったのはわずか1ミリ秒の間のことであった。
とにかくもう少し現象を詳しく調べてみようと思い、怪しげな添付ファイルを調べてみることにした。開いてみるとやはり羅列の羅列。だが待てよ、落ち着いてよく見てみれば、アルファベットで意味の取れる単語が読み取れる。署名で使う"*"の縁どりとかもある。どうも日本語が文字化けしているようだ。とすると、この添付ファイルはメールそのものなのではないだろうか、という疑いが頭をもたげてくる。
なぜ、Outlook Expressでこんな文字化けが発生したのか。
メールが添付ファイルになっちゃってるのはどうしてなのか。
いつもなら日課の運動をする時間であるが、もはやそれどころではない。だがしかし、さっぱり原因がわからない。いちどソフトを終了させてもう一度開いてみたりしても状態は変わらないどころか、今度は最初からメール一覧の件名が文字化けしてしまった。無意味な文字列が画面いっぱいに展開される様はなにやら前衛的なデザインのようで妙にきれいでもあった。
昨日まではこんなことはなかったんだから、たぶんダウンロードしたソフトが関係してるんじゃないか、とも思ったものの、それも1本や2本じゃないので見当がつかない。なかばやけくそで、設定しなおそうと思っていた「バビロン」をアンインストールすることにしてしまった。インストール時にフォルダの指定を忘れたためにD:ドライブにファイルがぶちまけられた形で保存されていたのも気に食わなかったんだが、ほとんど八つ当たりである。
ここで夕食のためいちどパソコンの電源を落とし、ウイルスに感染したかもしれん、という話題で両親と暗く盛り上がった夕食後再び立ち上げてみた。直っていた。
途方に暮れていただけにものすげぇうれしかったが、原因は不明のままなのがまたものすげぇ気持ちが悪い。なんなんだ、一体。最近、こんなのばっかりだ。
「バビロン」が悪かったのかなあ。単にパソコンの調子が悪かっただけかもしれないし、ああ、わからん。なんにしろ、直ったのはよかった。バビロンには悪いことしたかもしれん。
そのあと、マイコンピュータでD:ドライブを参照した。バビロンが削除されたあとを確認したのである。ファイル群はきれいになくなっていたが、同時に俺の永遠のアイドル、星野ひかるの写真画像ファイルも一緒になくなっていた。経文を書き忘れた耳だけを平家の亡霊に持って行かれた耳なし芳一の話を思い出した。
下の文章に書いた、Netscape Communicator 4.7 の留意点であるが、
>訪問ずみのページを表すリンクの色がこちらの意図した色と違っている。
>Internet Explorer で表示される色が俺の出したかった色である。
という現象は、スタイルシートの単なる誤記であることがわかった。
修正したら、色はこちらの意図した通りに表示されるようになった。
で、もうひとつ留意点を付け加える。これは前にもどこかに書いた記憶があるが、ま、一応、ということで。
○メインページにある各ページへのリンクの上にマウスポインタを持ってくると、Internet Explorer では、色が赤に変わるが、Netscape Communicator では、色は変わらない。
"hover" というスタイルシートを使って赤に変えているのだが、NC ではこの機能はサポートされていないのだろうか。
メインページを作り変えた。
ここ何日かこつこつと作りつづけてきたのだが、ようやく完成である。
今までのページは、中途半端な画像の使用と適当なレイアウトが我ながら嫌だったので、それならば、センスのなさを発揮して逆に思いきりシンプルにしてやろう、と思ったらこうなった。
結果的に文章系ホームページにはよくありがちのページレイアウトになった。が、まあ、こんなもんでしょ。俺的にはけっこう満足している。
作り直した意図としては他にも、なるべく軽いページを目指した、というのもある。
メインページが重くて表示まで時間がかかる、というのが俺としては勘弁ならんのである。
もともと文章しかないページなら、目的はレイアウトを楽しむことではなく、文章を読むことに限定される。俺としてはさくさくと読んでしまいたい。俺のページも文章しかないんで、来てくれた人にはストレスを感じずにさくさくと読んでもらいたいのである。なので、画像ファイルを削除し、表の使用も極力減らして軽くしてみた。
もっとも、geocities に住みつづける限りは、あの重い広告画像の表示は義務づけられている訳で、この動機はすでに内部に矛盾を孕んでいるのではあるが。
それに JavaScript を使ってるのも矛盾といえば矛盾だ。
主な変更点は次の通り。
あとは、Netscape Communicator 4.7 で見た場合の留意点。
こんなところである。
気がついたことや、おかしい点などありましたら、掲示板に書きこむか、俺宛にメールを送ってください。よろしくお願いします。
ホームページの体裁が落ち着いたところで、いよいよ大学時代の研究成果を発表するページの作成に取りかかろうと思う。
その名も「新井素子研究会」(略称、素研=もとけん)。
当時俺が所属していたSF研究会の有志4人が集まって、結成された秘密結社である。東洋大学第一回朝霞祭における喫茶店形式での研究成果披露は、俺の大学生活の中でも最大級に楽しいイベントであった。(ちなみに店の名前は「喫茶・素子の部屋」といった)
いま手元に当時作成した資料が残っているので、それを HTML ファイルに起こすつもりだ。これもボチボチやっていこうと思う。