たまゆら日記(2000.04)

格闘技関係の雑感みっつ 2000年04月30日 23時39分

本当に引退してしまうのか!? と話題騒然の橋本真也である。いまだにその処遇を巡っては方々で喧喧諤諤、諸説紛紛なんである。

しかし、このほど師匠であるアントニオ猪木からとうとう厳命が下った。5月5日の新日本プロレス福岡ドーム大会において行われる予定のIWGPタッグ選手権。その試合でチャンピオン中西学・永田裕志組に小川直也・村上一成のUFOタッグが挑戦する予定なのだが、肝心の小川直也が先の橋本との戦いで右肩を脱臼し、回復具合が思わしくない。それで、橋本に小川の変わりにその試合に出ろ、というのである。

橋本がはっきりと返答をしていないので、今の時点で決定か否かはわからない。どうするんだ、橋本!

俺としては、橋本がこのまますんなりUFO入りするのはちとおもしろくない。新日のあっち側に行ってしまうには、まだ橋本はからだから膿を出しきっていない、と思うからだ。何の変化もない橋本が新日の敵にまわったところで、その闘いから何か新しいものは生まれるのだろうか。橋本自身も変われるのだろうか。

猪木のもとで修行しなおす、というのには基本的に賛成なんではあるが。猪木の言う通り、「迷わず行けよ、行けばわかるさ」なのかもしれない。

その橋本、なんと静岡県掛川市の山寺で精神修養を積んでいたって話じゃないか。

俺んちのそんなに近くに橋本が隠れていたなんて、なんで誰も俺に教えてくれなかったんだ? ずるいよー。

掛川市というのは、俺が通っていた高校のある町だ。すっかり見慣れたJR掛川駅で記者に質問を受ける橋本の写真が昨日の日刊スポーツに載っていたが、その場に居合せなかったことが残念でしょうがない。


柔術家の宇野薫がテレビに出てるのを見て驚いた。それもCMである。KIRINの生茶のテレビCMに高倉健と一緒に出てるあの兄ちゃんがそうだ。まさか、と思ったがよく見てみたらやっぱり彼だった。

全然格闘家らしく見えなくて、CMの風景にとけこみまくって違和感がないのがかえって俺としては違和感がある。あの風体でかなりの実力者なんだからすごいよな。

例えばプロレスラーとかがCMに出るときってのは、その常人と違ったところを強調したものになりがちじゃないか。すごい肉体とか、みなぎる迫力みたいな。でも、このCMでは格闘家を格闘家らしく使っていない。CMの中に登場する宇野薫は多分ボクシングでもやってそうな、普通のあんちゃんである。なんか時代は変わったなあ、と思ったね。

(あ、いま思い出したんだけど、そういえばスタン・ハンセンがパルコのCM<群集の中にたたずむテンガロンハットにコート姿のハンセン>に出たり、前田日明が西武のCM<上半身裸の前田が背中におぶひもで赤ん坊を背負って立っている>に出たことはあったね。ただこちらは、やはり常人にはない特殊性を際立たせるための演出だったと思う)


前にも日記に書いたTBSのドラマ「池袋ウエストゲートパーク」。金曜の夜を毎週楽しみにしている。この間原作小説も買ってきたので読んでみようと思っている。

で、驚いたのがこのドラマに、あの世界の荒鷲、元柔道日本一にして現新日本プロレス会長の坂口征二のご子息が役者として登場しているんである。坂口会長のご子息といえば、引退試合のときに奥さんと一緒にリングに上がった坊主頭の学生服小僧がいたが、彼がそうだろうか。役者をしていたとは知らなかった。"IWGP"というドラマに会長の息子を登場させるなんざ、キャスティングがにくいやね。

ドラマの中では、金髪に鼻の穴と左耳をチェーンで結んだ通称「ドーベルマン」というおっかない役で、どうも事件に何か噛んでそうな雰囲気だ。クライマックスに乱闘シーンでもあったら、ぜひ父親譲りのナチュラルな強さを発揮してもらいたいと切望するものである。

言葉の使い方ってむつかしいなあ。 2000年04月30日 01時47分

「ホームページ」。

一般的にはインターネット上のWebサイト(この言葉の意味も俺はよく知らん)を指して使っているように思われる。俺もそう思って使っていた。しかし、世間にはその言葉の使い方が気に入らず、ムキになって反論している人もいるわけである。(「すみけんリソース!」内”あやしい言葉は使わないようにしよう”参照)

ちまたに流布する誤解を解き、語義本来の意味で用いよう、という姿勢はまあいい。俺は、その辺の言葉の使い方にこだわりがないのでけっこうどうでもいいと思っているんだが、ただ、”WWWをページ(本)に喩えるのは無理がある”という段落の中で、「ページ」という言葉を、

ページは、本来は書籍(本)の構成要素だ。情報をある程度の大きさに区切り、それに前から順番に番号をふったものがページである。

と一義的に解釈して、HTMLファイルを「ホームページ」と呼ぶのはふさわしくない、と書いているのは了見が狭いと言わざるをえない。

というのも、辞書を引いてみると「ページ」の語義がもう少し広いことがわかるからである。『リーダーズ英和辞典』(研究社)の1585ページから引用してみよう。

  1. ページ;《印刷物の》1葉;【印】ページ組み;【電算】ページ《記憶領域の一区画;それを満たすひとまとまりの情報》
  2. 【詩学・修】文書,書物,記録(record),年史
  3. 《人生・一生の》挿話(episode),《歴史上の》事件,時期;文章の一節(passage)

名詞としての語義だけ写してみると、その中にちゃんとコンピュータ用語としての「ページ」ってのがあるわけですな。ちなみにこの辞書の初版は1984年(おお、ジョージ・オーウェル)で、インターネットどころかパソコンさえもまだ全然庶民レベルでなかった時代に出版されたものである。この辞書を信用すれば、WWWブラウザ上で見ることのできるHTMLファイルを「ページ」と呼ぶのは別に間違いじゃない、という気がするんだがどうか。かの言い方は、「ファイル」や「フォルダ」が紙媒体の書類を整理するための道具を指す言葉だから、コンピュータ用語でこの言葉を用いるのは間違っている、と言ってるようなものだろう。

つまり、この主張はあまり意味がないものだと思われる、と揚げ足をとってみたかったわけよ。


それで思い出した昔の話。

『SFマガジン』というSF小説の専門誌がある。この雑誌で、新人SF作家を発掘するために、「ハヤカワSFコンテスト」という小説賞を毎年開催していたことがある。(現在は休止中)で、これの審査員に石原藤夫という人がいた。

当時、玉川大学(おお、薬師丸ひろ子)工学部教授であり、自らもSF作家であるこの人の選評で、すごく印象に残っていることがある。それは、「気狂い」では「きちがい」と読むことはできず、正しくは「気違い」と書くべきである、という主張であった。

そんな選評など熱心に読んでいなかった俺が強烈に覚えているくらいなんだから、毎年のように繰り返されていたのかもしれない。少なくとも2回以上は確実に読んだ。ま、この言葉が応募作の中に必ず含まれる小説コンテストってのもなんなんだ、って気もするが。

『気狂いピエロ』なんて邦題がついた映画を見ても判るように、そんなに違和感なく使われてる言葉である。これは本当に間違っているのか? そう疑問に思った当時の俺は、辞書を引いてみることにした。

参照したのは『広辞苑』第三版(岩波書店)であった。はたして、これで「きちがい」を引くと、「気違い」も「気狂い」も両方とも載っていたのである。『広辞苑』を信用する限り、間違っているわけではなかったようだ。選評できびしく追及するのはお門違いってことなんじゃないのか。

つまるところ、これも俺が他人の揚げ足をとったって話なんだが、大学教授であるSF作家の揚げ足をとったことに、ゆがんだ快感を感じたのを覚えている。

石原教授は、長く審査員を務めた後他の人にその座を譲ったが、このことを彼に突っ込んだ人がいたかどうかは未だに謎である。

ちなみに、MS-IME98では、「きちがい」を「気狂い」とは変換してくれないんですな。ふむ。


最後に、言葉の意味とその使い方ってこういう関係ってあるよなあ、と俺が思った対談を引用しよう。下ネタだから、退いちゃう人は読まないのがよろしい。

『ビデオボーイ』誌2000年6月号の中の、杉作J太郎の連載「芸能ワイルド番地」から。

”カモナ・オナルーム'00”おとなしいMAXの巻。杉作氏とダバンプ鬼目氏の対談である。

杉作●(前略)彼女たち自体が変わったとは思えないんですけどね。むしろ時代が変わって。キャバクラでいうと、オッパイの出てこないフツーのキャバクラって感じになっちゃったんじゃないの?
鬼目●あー、そうね。本来、キャバクラでオッパイは出てこないんやけどね。
杉作●でしょう。キャバクラ情報誌なんかでもオッパイの出て来るキャバクラはオッパイパブとかいって終わりのほうにちょこちょこっと載ってた感じだったもんね。
鬼目●そうよ。最近、キャバクラ行きはじめた人が俺のまわりにもいるけど、オッパイ出てくるのが当たり前だと思っとるもんね。
杉作●周りが変わってしまったんですな。(後略)

下品な話題ですまん。いや、この連載を俺は毎月楽しみにしとるんですわ。


思うのは、それを守ることで何か得ることがなければ、「本来」なんてこだわる必要のない価値観ではないか、ということ。「ホームページ」でも「気狂い」でも、そんなのどうでもいいじゃねぇかってことです。

書きなおしの現状と不具合 2000年04月28日 20時37分

昨日の続き。

というわけで、この日記を書きなおしてみた。

HTMLで文章構造を表現し、レイアウトはスタイルシートを用いる、というやりかたである。ただ、それも未だ中途半端にしか記述できていないのは、俺の力不足による。具体的には<font>タグを使ってしまっている箇所があるんだよな。文字の大きさを指定しているこのタグも、スタイルシートに置き換えたいところだ。

見た目で変わったところといえば、段落の最初が1文字下げになった。<p>タグに1文字分のインデントを指定するとこうなる。文字のインデントは自由に指定できるので、前のように文字下げをなくそうとすれば、その指定を削除、もしくは0文字下げにすればいいだけだ。確かに、レイアウトは簡単に変更できる。

それから、前に比べて文字が大きく表示されていると思うんだが、どうか。ディスプレイによって表示される文字の大きさがまちまちだということを考えれば、大きさを固定しないほうがいいのだろうか、と思って「比較的中くらいの大きさ」を指定している。視覚的に見てるほうはブラウザによって文字の大きさを調節できるから、見にくければ調整してもらえばいいかな、と。勝手な言い分だが。

あとは、表を使うのを辞めたので、若干表示スピードが上がった・・・と思いたい。俺的には体感速度にあまり変化はないんだが、速くなっただろうか。過去の日記を修正してスピードを比較してみるとわかるか。まあ、そんな目に見えるほどの差はないだろう。


で、何度か表示してみると、よくわからない不具合がある。

他のページを見回ったあとこの日記を見ると、なぜかタイトルをいきなり明朝体で表示していたり、文章中の文字が水平方向に真中で上下がずれまともに読めなかったり、左右のインデントを無視して文章がはみ出ていたりする。

一度ブラウザ(Internet Explorer5.0)を一度終了させてから再び表示すれば、何の問題もなく俺の意図した通りに表示された。不正な記述をしたのかな、と思ったんだけど、いまのところ思い当たるところはない。原因不明である。

文字が水平方向に真中でずれる、というのは他のホームページでも見たことがある。具体的にはSBSのページでよく見たんだが。これとてもHTMLの記述が悪いのか、それともブラウザ側の不都合か、というのも特定できない。どなたか心当たりのある方はいないだろうか。なぜなんだろうなあ。


そんなことがありながらも、これから徐々に書きなおしを進めていくのである。けっこうめんどうくさくなってきた。

STARTに戻る。 2000年04月28日 02時27分

今、HTMLの勉強をしている。

というのも、俺がホームページ(この言い方にも文句がある人はいるようだが)を作るときに、いかにいい加減な知識でHTMLを記述していたかを思い知らされたからである。

それは、この本を読んだことによる。

『スタイルシートWebデザイン CSS2完全解説』(すみけんたろう/技術評論社)

この中に「HTMLにまつわる誤解と混乱の歴史」と題して、次のような文章が書かれている。一部抜粋する。

HTMLの仕様そのものは,各要素の意味合いや役割−見出しであるとか,強調語句であるとか−を決めているだけで,その表示に関しては(原則として)何も決めていません.なぜなら,表示はスタイルシートの範疇であり,HTMLの範疇ではないからです.

例えば、表をレイアウト上で見栄えがよくするために用いるのはHTML本来の使い方ではなく、そういう場合はスタイルシートを使うのが筋ってもんだ、ってことらしい。で、いわゆる「タグ」(または要素<Element>)の誤用がいかに多いかというということも書いてあった。まさに俺がしていたような書き方もその中には含まれていた。

HTMLの基本的な知識を持たないまま、リファレンスだけ見て「タグ」をレイアウトを整えるものとして使っていた俺としては、目から鱗が滝のように流れ落ちた気がした。

ちなみに、「たまゆら」のトップページをHTML文法チェッカーAnother HTML-lintでチェックしてもらったら、山のように不正な記述を指摘された。さらに、このチェッカーは採点もしてくれるのだが、なんと、100点満点で−31点だったよ。とほほ。

なので、この「たまゆら」も、文書の定義の仕方をもういっぺん見なおしてみようかと思う。むちゃくちゃな定義の仕方をしている箇所もあるし、まさに表をレイアウトを整えるものとして使っている箇所が数多くあるからだ。文章の段落はやはり<p>を使わないとまずい。いままで<br>で強制改行して段落を作るのも見直さんといかんよなあ、と。


こう一気に考えが転換してしまったのには、IEとかNN以外のブラウザで見るときのことに思い至ったから、というのもある。特に、テキストのみ表示するブラウザや、視覚障害者向けの音声出力ブラウザなどでは、文章の構成を無視した「タグ」の使い方をすると意味が通らないものになるかもしれない、というのには強烈な印象を受けた。

ちと大げさかもしれないけど、バリアフリーってのはこういうところにも適応される概念なんだな、というのに今更ながらに気づいたというか。俺のホームページを目の不自由な人が実際に読むかどうかは別として、その考えを踏まえた上で作っとくのに越したことはない、と思ったわけだ。


しかし、このスタイルシートってのが難しいんだよなあ。覚えることがたくさんあってさ。まだ慣れてないからってのが大きいんだけど。

新しいコンテンツの作成はとりあえず保留して、ホームページの作りなおしをこれからやっていくです。

アウェイの洗礼 2000年04月25日 02時28分

23日のアジアクラブ選手権決勝戦。

日刊スポーツによれば、やはり敵地に乗り込んだジュビロにとってはなかなか厳しいものがあったようだ。

同点にされた後、敵ペナルティエリア内で攻撃中、相手DFにハンドがあったのだが審判がとってくれなかったとか。実際に試合を見ていないのでなんとも言えないのだが、審判の単なるミスなのか、それともこれがホームタウン・デシジョンってやつなのか。

また、試合が終わった後。

磐田イレブンを乗せたバスが渋滞に巻き込まれて停車中に、サウジアラビアのサポーターから石を投げられて窓ガラスを1枚割られた、とか、陸橋の上からバスの屋根めがけて大きい石を落とされた、とか。厳戒体制を敷いて通常30分の道のりが1時間20分かかったってのもひでぇ話だ。負けてこれだってんだから、勝ってたら果してどうなっちゃってたの? と、負けた悔しさとは別にマジで恐ろしい。

日本ではこんなことまず考えられないからな。こういう周囲の熱狂がやってる選手たちに危機感を与えるのかもしれないけど、日本でいくらサッカー熱が高くなってもここまではしてもらいたくないと思うんですが、どうでしょう、セルジオ越後さん。


判定まで含めてアウェイの相手を黙らすには、有無を言わさずガツンとKOするだけのパワーがないとダメだ、っつーことだろう。去年は同じ状況できっちり勝って見せたわけだし、じゃあ、今のジュビロに何が足りなかったんだ? って話。その辺りも含めて、ジュビロの選手もスタッフもきっとこの悔しさを雪辱することを考えてるに違いない。

この負けで、ジュビロはもっと強くなるよ。(『餓狼伝』風に)

アジアクラブ選手権終わる。 2000年04月23日 23時34分

この落胆をどう表現すればいいのか。

ジュビロ磐田は、決勝でアルヒラルに2−3で敗れ、準優勝となった。これは立派に誇れる成績ではある。しかし、深夜から早朝にかけてジュビロ磐田オフィシャルホームページの試合速報を見ながら、最後の最後まで勝利を信じて疑わなかった俺にしてみれば、ロスタイムに同点に追いつかれての延長Vゴール負けという結末は、簡単に受け入れられない現実だった。そりゃねーだろ、ってしか言葉もない。

「ドーハの悲劇」の時って、サポーターの人たちはこれと同じような気持ちを味わったのだろうか。半ば手中に収めていた栄光が一瞬にしてふいになってしまう、というこの感覚。応援する者も含めた当事者たちの落ち込み方も半端じゃないさ。


家の中でじっとしているとあまりにやるせないので、最近密かに進めている「たまゆら特盛計画(味噌汁つき)」を放棄して、サッカーを見に行くことにした。

今日はジュビロ磐田スタジアムでJFLの試合、静岡産業大学vs本田技研が行われる。サッカーの落ち込みはサッカーでとりかえす、というわけでもないが、ま、なんとなくね。どちらもジュビロの属するJ1リーグのチームでないから、勝敗に関係なくサッカーが楽しめたらいいかな、と思った。天気もいいし日向ぼっこついでにって感じで。


静岡産業大学はジュビロと同じで磐田市をホームグラウンドにしている。大学のチームとしては国士舘に継いで今年からJFLに参戦したばかりだ。ジュビロと関係が深いようで、今日みたいにジュビロ磐田スタジアムで試合をすることもあるし、ユニホームの色もサックスブルーとなっている。

本田技研はやはり静岡県は浜松市をホームとする名門チームで、去年もJFLで2位になった強豪だ。昔はヤマハ発動機(ジュビロ磐田の前身)のライバルで、ホンダとヤマハの対決は、本業の方のライバル意識もあってか「天竜川決戦」と呼ばれて盛り上がっていたらしい。

そんなわけでジュビロファンの俺としては心情的に静岡産業大の方を応援することにする。


全席1000円のチケットを買って中に入った。さすがにバックスタンドは開放してなくて、メインスタンドとゴール裏のみ席があった。前半はピッチが目の前に見えるメインスタンドで立ち見。ハーフタイムにホーム側のゴール裏2階席に移った。

応援団の数はJ1に比べると極端に少なく、双方ともガラガラにすいているゴール裏で小人数が太鼓と声援の応援をしていた。メインスタンドはそれでも8割の入りといったところだろうか。いかにも近所の衆といった感じのおじさん、おばさんをたくさん見かけるのもJ1の試合の客層と違うところだ。もちろん応援グッズ持参のファンもいるけどそれはほんの少数で、あとは親子連れとか少年サッカーチームご一行様とかガキどもとかが多い。ピッチでは激しい戦いが行われているが、それをとりまく環境はなんとものどかだ。いいプレーがあった時や、ゴールが決まった時には、それがどちらのチームでも拍手が起こる。


そんな風景を見ていたら、少しだけ前向きのことが思い浮かんできた。

そうだよな、去年優勝で、今年準優勝ってのはたいした成績だよ。もっと自信を持ってもいいよな。

それに、ジュビロは1999年のJ1リーグ年間王者だから、来年のアジアクラブ選手権にも出場する。3年連続出場となる次回の大会で、この屈辱を晴らせばいいことじゃないか。 J1リーグでは依然として首位だし、帰国したらすぐ試合だってある。1stステージはこのまま優勝してもらわねば。代表組は韓国戦が控えてるし。

これで終わったわけじゃない。この負けを糧にしてまたひとまわり大きくなるさ。


2−1で静産大は負けちゃったけど、ぽかぽかと暖かくていいサッカー観戦だった。

静産大もがんばれよ。

アジアクラブ選手権決勝 2000年04月23日 02時39分

何に燃えてるかって、そりゃあ、アジアクラブ選手権なんである。

サウジアラビアで開催されているサッカーのこの大会で、今ジュビロ磐田が決勝まで進んでいるんだな。


この大会は、アジア各国の国内リーグ戦優勝チームが参加する大会であって、優勝すればアジアNo.1のクラブチームという称号を得る。今回の大会では、日本から1998年の年間チャンピオンである鹿島アントラーズと、前回アジアクラブ選手権チャンピオンであるジュビロ磐田の2チームが参加した。アントラーズは今年2月に行われた準々決勝リーグで早々に姿を消したが、どっこい磐田は勝ち進んだぜ。

そして、今日これから、日本時間の午前3時15分キックオフで、サウジアラビアはリヤドのキングファハドスタジアムで決勝戦が行われるんである。

対戦相手はアル・イテハドという地元のチームだ。つまり、この決勝戦はジュビロにとって敵地の真っ只中で行われるアウェイもアウェイの試合なんである。


海外では、アウェイチームをとり巻く環境が日本に比べてとんでもなくキビシイらしい。去年のこの大会でも、決勝戦でジュビロ磐田はイランのチームとアウェイで戦ったのだが、その時は10万人収容のスタジアムが全てイランチームを応援する現地人で、それがしかも全部男性。イスラムのしきたりで女性はスタジアムに入れないらしい。10万人の男が一斉にジュビロに対して罵声を浴びせてくるんである。さらに、その観客がジュビロの選手が入場してくると物を投げつけてくるんだと。その中には爆竹や石っころまで交じってたって言うんだから出場するのも命がけである。その他にも、当然の如く審判は現地チーム寄りだったりするらしいしな。


まあ、そんな環境でもジュビロ磐田は昨年アジアクラブ選手権を制覇したわけだ。これはものすごく誇っていいことだと思うんだが、いまいち日本国内の関心が薄かったのが気に入らないんだよな。で、今回もジュビロは優勝するんだが(決めつけてる)、もう少しメディアが取り上げてほしいものだ。


俺はこれから寝ないでジュビロ磐田オフィシャルホームページの試合速報をチェックするつもりである。おとといの準決勝も朝まで速報を眺めていた。画面に勝利の文字が刻まれるのを見るのはこの上ない喜びである。今日もその喜びを味わいたいなあ、と祈りつつ、サウジアラビアのジュビロに思いを馳せよう。

「黒い家」(映画) 2000年04月20日 23時31分

「黒い家」を見た。森田芳光監督の映画である。原作は貴志祐介で、日本ホラー小説大賞を受賞した小説の映画化だ。

貴志祐介というと、同じく角川ホラー文庫から出ている『クリムゾンの迷宮』を読んだことがある。それなりに面白い作品であったように思うんだが、続けてちょっと似た傾向の『バトル・ロワイアル』を読んでしまったために、印象が消し飛んでしまったのは俺にとって不幸であった。それ以来、貴志祐介作品は読んでいない。で、『黒い家』も原作は読んでいないんである。


大竹しのぶと西村雅彦の怪演がおもしろおそろしく、笑いと恐怖は紙一重だな、と実感したのも妙にコミカルな演出をちりばめた森田芳光の手法ならでは、か。終盤まではかなりおもしろかったし、怖かった。ふと気がつくと口をあんぐりあけたままテレビ画面を凝視する自分がそこにおり、我ながら滑稽だった。

ただ、終盤の怖さはそれまで映画内で築き上げてきた怖さとは別種だと思った。俺はちょっと引いてしまった。それと、あいかわらずラストの落ちがよくわからない、という森田作品にありがちな唐突な終わり方がひっかかった。ネットで他の人の感想も見てみたんだけど、あの終わり方に触れたコメントと言うのは今だ目にしていない。あれってみんな納得してるのかな?


まあ、全体的にはけっこうおもしろかったと思う。「ぜひ見ろ」とまでは薦めないけど。

訃報 2000年04月20日 23時20分

新日本プロレスの福田雅一選手(27)が、19日、急性硬膜下血腫で亡くなりました。

14日の試合中に意識不明になり、緊急入院して開頭手術をしましたが、帰らぬ人となってしまいました。

謹んでご冥福をお祈りします。

さいたま 2000年04月19日 22時16分

埼玉県の浦和、大宮、与野市が合併し、2001年5月に新しい市が発足するんだそうだ。

その名も「さいたま市」。ズバリひらがなである。

ひらがなを使った市名は全国で6市あるんだそうだ。ひたちなか市、とかそうだよね。県庁所在地では初めてのこと、と日刊スポーツに書いてある。


この話を読んでまず思い出したのは、合併する市のうち2つがJリーグのチームのホームとなっていることだ。

浦和市の浦和レッズ。

大宮市の大宮アルディージャ。

今期は両チームともJ2リーグで闘っている。

ホームの名前が変わるということは、やはりチーム名も変わるのだろうか。

さいたまレッズ。

さいたまアルディージャ。

この2チームが闘えば「さいたまダービー」ということになるわけだ。

なんとなくひらがなじゃしまらねぇな、と思うのはまったく余計なお世話なんだが、この両チームのサポーターの人はこの辺りどう思うんだろうね。


もっとも、こういう事例がJリーグのチームで過去になかったわけじゃない。鹿島アントラーズのホームが近隣の町村で合併したことがあった。このとき、新市名を「鹿島市」にしようと地元は考えたんだが、その市名が既に存在していたことから国の許可が下りず、結局「鹿嶋市」と字をかえて命名した、という経緯があった。

しかし、それ以降もアントラーズは「鹿島」を名乗りつづけている。慣習的にその辺り一帯を「鹿島」と呼んでいるからOKなのかな。だとすれば、新しい市が発足したところでJR武蔵野線の「武蔵浦和」が「武蔵さいたま」に(たぶん)変わらないように、レッズが浦和を名乗ったところで問題ないようにも思う。実際にどうなるかはわかんないけどね。


静岡県内でも、エスパルスの地元清水市は、隣の県庁所在地・静岡市と合併する方向で話が進んでる。ジュビロの地元磐田市も周辺市町村を巻き込んだ合併を模索しているところだ。こちらはまだ具体的な話じゃないけど。将来的には市の名前が変わるという可能性はあるわけだ。国が地方自治体の合併をすすめ、地方は様々な事情から合併を模索しているのがここ最近の国内的な流れである。

慣れ親しんだ名前が消えてしまうとしたら、特にそれが自分にとって愛着のあるものだったら、淋しいもんがあるよなあ。それが一時の感傷に過ぎないものだとしても。

昨日の続き、というか 2000年04月16日 04時31分

昨日の日記で"IWGP"を"International Wrestling Grand-Plix"と書いている。

その綴りの最後のところが違っていた。書いたときは自身満々だったんだが、今日になってちょっと不安になり辞書を引いてみたら、「グランプリ」ちゅーのは"grand prix"と表記する、と書いてあった。"prix"の"r"と"l"を間違えてたっつーことであります。自信がなけりゃ日記に載せる前に辞書を引けっての。海よりも深く反省。

しかし、「グランプリ」と聞いて、F1やK1よりも「クイズグランプリ」が真っ先に頭に浮かぶのは世代の呪縛だろうか。

「文学・歴史の30」


これも昨日の続きの話。

森下愛子ってちょっと前に「美しい人」というドラマに出てたんですな。俺はこれは全然見てなかった。

主演が常盤貴子と田村正和。森下愛子にとっては「うちの子にかぎって」以来の田村正和との共演というのが、思い出してみれば興味深くはある。もっともドラマの雰囲気は、片やサスペンス風、片や世間を小馬鹿にしたような小学校ものと、とんでもなく違ってる。また、「うちの子にかぎって」の方は田村正和演じる小学校の教師と結婚したその元教え子、などといううらやましい(いやいや)役だった。あの奥さん役もかわいかったんだよなあ。

で、そういえばこの人ってヌードになってな、とふと思い出した。子供の頃のことなので、俺はそれを拝んだ記憶がない。ちょっと思いつくと捜してみたくてし方がなくなるのがインターネットにアクセスできるようになってからの俺の新しい習性だ。さっそく森下愛子のお宝画像をネットで探してみた。すると、あるある。やっぱり蛇の道は蛇というか、昔の「写楽」(しゃがく、と読む)や週刊プレイボーイのグラビアの画像を載っけてるサイトがいくつかあったんである。

すごいね。感心した。こういう日の当たらないところにも力を注いでくれてる人っているんだよなあ。森下愛子専門のファンサイトなんていうのもGeocitiesにあったりした。自分の趣味のためにホームページを作ったりグラビアを画像ファイルにして公開してたりするのである。しかも無償で。いまさらながらにネットの持つ底知れないパワーというものを感じた。


これからの社会というのは、ボランティアとかの自分の趣味と実益を兼ねるような無償の奉仕がないとたぶん経済的に成り立っていかなくなってしまうだろう、というのをどこかで(「ほぼ日刊イトイ新聞」の鳥越俊太郎「あのくさ、こればい」だったか)読んだ記憶があるのだが、ネットを見てると情報の面に関してはそれは完全に可能だな、とそんな気にはなるね。実際にそうやってる人が多いわけだし。

ディープに突っ込もうとすればとことんはまる世界だ。ネットってやつは。

「池袋ウエストゲートパーク」 2000年04月15日 02時41分

略して"IWGP"(Ikebukuro West Gate Park)なんだそうだ。

今日から始まったドラマの題名である。主演はTOKIOの長瀬くん。

しかし、「"IWGP"って何?」と問えば普通の市民は「ああ、"International Wrestling Grand-Plix"の略でしょ」と答えそうなもんだが(そうか?)、こりゃまたうまいことゴロを合わせたもんだね。小説をドラマ化したこの作品、原作者はプロレスファンなのだろうか。

そう、"IWGP"とは、新日本プロレスの至宝であるところの選手権の名前である。アントニオ猪木が、世界に乱立するタイトルを統一する、という壮大な目的の象徴として提唱したベルトが、その後新日本プロレスでタイトル化されたものだ。新日本プロレスのリングに上がっているレスラーの中で、最強のレスラーだけが腰に巻ける輝けるベルトである。

このドラマが人気出ちゃったりすると、"IWGP"と聞いてプロレスでなくドラマの方を思い出す人が増えちゃったりするんだろうか。「なにこれ、ドラマのパクリ?」なんて思われちゃったら嫌だなあ。プロレス者としてはちょっと心配である。


池袋といえば、俺が東京で生活していた時にホームグラウンドにしていた街だ。10年間東武東上線沿いに住んでいたので、身近で手に入らないものがあると必然的に池袋に出ることになる。街の猥雑さというか下品さ加減に慣れてしまったせいか、大学の友人たちと渋谷や新宿へ遊びにいった時も、食事や酒はわざわざ池袋に戻ってからとっていたものだ。なんか落ち着くんである。帰ってくればそこは俺の街、という気分にさせてくれる。

ドラマでは見知ったところばかり出てくるので、非常に懐かしかった。「池袋ウエストゲートパーク」といっても、しょせん「池袋西口公園」である。東京芸術劇場の真下に広がるその公園で、友人と変な長椅子に座ってくだらないこと話し込んだりしたよなあ、と思い出す。しかし、あんなに駅の近くの人通りの多いところで、ロケはスムーズに行くんだろうかね。


あとは久しぶりにテレビで森下愛子を見れたのがうれしかった。吉田拓郎の奥さんであるこの人が長瀬くんの母親役だ。ガキの頃からけっこう好きだったんだが、結婚してから露出が減ったのが残念だった。いまはもう40代になったのだろうか。それにしても若く見えるし、あいかわらず可愛らしいのがまいった。舌ったらずなしゃべりかたなんか、よすぎるね、どうも。


けっこうおもしろいドラマだったので、来週からも引き続き見ようと思う。

ま、これからやね。 2000年04月14日 00時19分

今日で本屋のバイトを終了した。

次の仕事に移行するためである。今日現在、正式な面接をしたわけじゃないので、決まってないんだが。店からの要請では16日から働いてほしいということだったが、人事部から面接の連絡がまだ来ない。この様子では早くても来週半ばくらいだろうか。そんなわけで、当分は無職ということになる。身分も不安定なら精神状態も不安定である。


本屋の仕事は楽しかった。本をよく読む人間である自分の知識がストレートに反映できるというのがよかった。現場を任されるだけなら天職かもしれない。いろいろとストレスもたまったが、総じてよくできたんじゃないだろうか。

仕事が嫌になって辞めるわけではないので、なんとなく名残おしい、というのが今の気持ちだ。しかし、安定した収入が必要なんだよな。親父も来年定年だし。

ALIVE 2000年04月13日 01時18分

今日、店に元X JAPANのToshiが来た。

別に本を買いに来た訳じゃない。近くの街でLIVEをやる予定だとかで、その前に近隣の町を回ってミニライブとCDの即売会を開いており、たまたまうちの店でそれをやることになったという話だ。ま、言ってみればドサ回りである。


俺の人生でX JAPANと関わり合いになった記憶はほとんどない。筋肉少女帯の武道館ライブで「踊るダメ人間」のサビの部分、「ダ〜メ、ダメダメ、ダメ人間」を大槻ケンヂに合わせて歌いながら腕でバッテン作って飛び跳てたとき、これってXのパクリだよな、ってぼんやりと考えただとか、プロ野球か高校野球か忘れたが「紅」を応援歌にしてラッパで吹いてるのを聞いて「短調のメロディがカッコ悪い」と思ったりだとかそのくらいかなあ。X JAPANと聞いても全然ピンとくるもんがあるわけでもない。

バイト仲間の主婦連はそれなりに盛り上がっていたようだ。旬は完全に過ぎたとはいえ、有名人がこんな田舎町にくるなんてそんなにあるもんじゃない。とはいえ、告知も大々的にやったわけじゃないし、現在の彼の知名度を考えればどれだけお客さんが来るかというのもなかなか不安であった。平日の昼間なのによくやるよなあ、なんてかえってこっちが心配してしまったくらいだ。数人しかいない客の前で所在なげに困ったように立ちすくむ元スターの図、というのを想像してしまった。


近くで見た彼はただのギター抱えた普通のあんちゃんであった。背が俺より低いくらいだったのが意外といえば意外だった。

店の真ん中のワゴン売りのCDをどかして作られた空間で、2:30と4:30、2回のライブは行われた。それぞれ数十人くらいしか集まらなかったが、それでも彼は生ギターと生声で3曲ほど歌った。声がときどき裏返ったが、耳にしたことのあるあの歌声そのままだった。

歌の合間に、彼は、自分は歌うのが好きなだけで、決してスターになりたかったわけじゃなかった、とか、こういう場で歌うのがホントに幸せなんだ、とか語った。その話は何度も繰り返され、まるで自分に言い聞かせているようだな、と俺は感じたりもした。この人もなにか心の隙間を生めようと必死になっているのだろうか。


レジの中で仕事しながら歌声を聞いていると、バイト仲間のねぇちゃんが「有名な人もこうなっちゃおしまいだよねぇ」なんて言ってきやがる。人のことはいいからおめぇが仕事ちゃんとしろって。俺が注意したこともできねぇで他人の悪口はいっちょまえかい。ほら、仕事の邪魔だ、話しかけるな。

無題 2000年04月07日 22時11分

すごかった、と言うほか、今は言葉が出ない。

橋本、引退しろ 2000年04月06日 22時09分

また風邪をひいた。

体調が悪い。3月以来コンディションが下がりっぱなしだ。運動もここ数週間やれるような状態ではない。ごヴぇー。


そんな体調でも、これだけは書いておかねばならないだろう。

明日4月7日、東京ドームで行われる小川直也vs橋本真也5度目のシングル対決である。

いつもは橋本びいきの俺だが、今回、俺は率直に言って橋本には乗れていない。

俺が期待するテンションと方向性を橋本が持っていないと感じるからである。これに負けたら橋本は引退するらしい。でもさ、引退するだけなのか? って思ってしまった。彼としては、自分の中の最後の切り札のつもりなんだろう。けど、プロレスラーとしての橋本なんてのは、去年の1月4日、小川相手に何もできなかった時点で終わっているわけで、引退、とか言われても、いまさらなに言ってんの? って感じ。

では、俺が彼に何を期待していたのか、と言えば「引退」などという自分の職業的な立場を引き合いに出す勝負でなく、もっと個人的なもの、もっとドロドロしたもの、はっきり言えば、命をかけるようなものが見たいんである。「負けたら腹切りますよ」(by 山本小鉄)というような必死さが伝わってくるようなもの。「橋本の本気が見たい」とこの日記でもたびたび書いてきたけど、そういう覚悟が伝わってくるようなものを見たいわけだ。すべてを失って崖っぷちに立たたされたはずの橋本の口から出る「引退」という言葉は悲しいほど軽いしちゃちいし、それはちょっと違うだろ、と思う。猪木はその辺りもっとシビアで、新聞を通して「死ね」って橋本に言っちゃう始末。いくら橋本がカッコつけてみても、「負け」=「引退」というのは所詮発想のスケールが小さすぎる、と感じる。

それと、小川が自分のホームページの日記にも書いてたんだけど、負けたら引退、とか言っときながら、新日本プロレスの次期シリーズで橋本の試合が組まれてるのはどういう訳? まあ、会社としては興行的にこうせざるをえない、という事情もあるんだろうが、真剣に見ているファンとしては、それはねぇだろ、と思うよな。もっと試合の雰囲気作りに気を使えよ、新日本プロレス。


あと、もう一つ乗れない理由。

小川の必殺技STO(Space Tornado Ogawa)対策に、これも小川とは因縁の、明治大学柔道部の大先輩であり、新日本プロレス会長の坂口征二(元柔道日本一)がSTO封じを伝授、という公開練習をテレビで見た。STOというのは名前はおおげさだが、要するに柔道の「大外刈り」という投げ技である。普通の柔道の技と違うのは、最初から投げられる方が受身が取れないように頭から落とすことを念頭においているので、危険度が非常に高い、ということだ。前回10月11日の対戦で、この技により橋本が完全KOされたことを踏まえてのことなのだろう。

でもさ、たしかにSTOはおっかないと思うけど、小川の怖いところってそこだけじゃねーだろ。投げられないように対策を講じても、投げがくる前に顔面ボコボコに殴られるだろ。それでひるんだ所でSTOを狙ってくるんじゃないか、というのは素人でも考え付くようなことなんだが、どうなんだろうか。

打撃なしの柔道だったら投げられない工夫は有効だと思う。しかし、この試合は打撃ありだ。打撃によってSTOが入るような状況作りをされてしまったらおしまいだと思うのである。もっともSTOなんてやる前に打撃だけで試合が終わっちゃうかもしれない。要は打撃対策こそが肝要だと思うんだが、ビッグ・サカが肩入れしたことで思わず柔道寄りになってしまったのだろうか。

さらにがっくりきたのが、練習相手が新人の鈴木健三だったことである。彼はラグビーで日本代表に選ばれたほどの優秀なアスリートだが、柔道はど素人である。こんな奴相手に身につけたSTO封じって、試合でホントに役に立つのかよ、えェ?。

的外れだ、と俺は思った。この勘違いがどうにも滑稽に思えて、それでまた橋本に対する思い入れが萎えた。

もっとも、これが三味線(だまし)で、裏では橋本が打撃の猛特訓を積んでおり、試合が始まったらびっくり、というのならすごいけど。これは絶対ないだろうなあ。


以上の理由でどうも橋本には乗りきれない、というのが今の俺の率直な気持ちである。前回の時は、前フリをもいちいち喜んでいた俺だが、今回は橋本陣営に限っては非常につまらない前フリしかなかった。

できれば小川に、またも完膚なきまでに橋本を叩きのめしてもらって、橋本には引退してもらいたいと思う。あなたにはここら辺りまでが限界なんではないだろうか、橋本よ。死んでこそ浮かぶ瀬もあっちゃったりするんじゃないだろうか。


と、さんざん橋本には文句を言ったが、非常に楽しみにしているのは確かなのである。引退だなんだとちぃせぇことはどうでもいいから、やるなら徹底的にやってもらいたい。

俺は東京ドームに行けないのが残念だが、うちのテレビで熱く観戦するのである。

そう、なんと、「ワールドプロレスリング」が金曜夜8時に生放送されるのである。プロレスがゴールデンタイムに放送されるというのはなにしろ久しぶりだ。「金八先生」「太陽にほえろ」の裏番組として、常に視聴率20%をキープしていた当時の夢再び。快挙である。

一瞬たりとも見逃すまいと目ん玉かっぽじって見るつもりである。


これを読んだ人で、もしも興味が湧いたり暇があったりする人は、明日、4月7日金曜日の午後8時に、テレビ朝日(またはその系列局)にチャンネルを合わせてみるが吉。

更新状況 2000年04月05日 02時50分

えー、トップページにある「今週のジュビロ磐田」を「ジュビロで行こう!」というタイトルに改めました。内容が「今週の」というタイトルにそぐわないものであるのが、ちょっと前から気になってました。それと、この項目をこのホームページにおいてある意味、というのを考えてみたんです。

もともとこれをやり始めた動機というのは、サッカーについて何らかの感想を語ることで自分でサッカーの見方をつかむ、というのと、自分がジュビロのファンである、ということを常に意識するため、ということでした。俺自身、まだサッカーファン(というよりジュビロ磐田ファン)になって日が浅いので、自分がサッカーにつながる行為をする、というのは、ささいなことでも非常に気持ちがよいものです。恋愛の初期症状みたいなものかもしれません。

で、ある意味自己満足を味わえればそれでもよかったんです。でも、せっかくホームページ上で公開しているからには、このページを見た人が少しでもジュビロ磐田に興味を持ってくれればいいなあ、と考えました。そのためには、もう少しタイトルだけでも積極的にジュビロに目が行くものにせねば。そんなわけでの改題です。中味の方は前と同じなんで、いささか気が引けますが、まあ、ちょっとずつ話題を提供できればいいかな、と思っております。

このホームページにくる人はサッカーに関心がない人がほとんどだと思うので、別に無視してくれてかまわないです。ちなみに"jubilo"とは、ポルトガル語、スペイン語で「歓喜」という意味だそうです。ま、ちょっとだけでもジュビロのことを知っていてもらえれば、俺としては大「歓喜」です。


最近は頭が日記モードに切り替わらないので、なかなか書きたいと思うことを文章化することができません。なので、日記もあまり更新できませんでした。

モードが切り替わらないのは、自分でも理由がわかりません。単に飽きた、とか。就職のことが気になっている、というのもあるかなあ。うーん、自分としては半年続けばそのあとも大丈夫かな、という気持ちで始めたので、ちょっと目標を達成して気が抜けたのかもしれません。精神的な、何らかの「壁」といったものを感じています。自分で納得の行く文章を書けないのがまたストレスになったりするんですよ、これが。

無理しない程度に書いていこうとは思ってますが。


そういうこともあって、『説得の文章術』(安本美典・宝島社新書)という本を読んでます。

俺は、文章を書くという行為や、書かれた文章のスタイル、というものにかなり関心をもっている人なのですが、自分のスタイルは追究するものの、こういった他人が書いた技術書というものに目を通したことって全然ありませんでした。読んでみるとこれがけっこう面白い。俺が密かに考えていたことが明晰に言語化されていたり、古典やプロの作家の文章を用いてさまざまなテクニックを解説していたりします。

文章的にちょっと行き詰まりを感じていたこともあり、文章のスタイルや単純なテクニックについての考え方はちょっと広くなるかな、と思いました。それをそのまま俺が使うかどうかはまだわかりませんが、自分では思いつかない発想は非常に興味深いです。


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