たまゆら日記 (2000.09)

知らぬ間に「新井素子研究会」がYahoo!に登録されていた。 2000年09月21日 05時51分

この頃訪問者が増えて、おや、こりゃどうしたわけだ、えれーうれしいぜ、ぐはははあ、とほくそえんでおりました素研のホームページですが、Yahoo! に登録されてたことが判明いたしました。

そうか、みんなここを見てやって来てくれたのか。さすがにYahoo!、すごい影響力だ。

ま、知らぬ間に、って言っても登録申請したのはこの俺様なわけであります。6月末にホームページが完成し、7月頭くらいに申請したんですが、すっかり忘れてました。

ただねぇ、Yahoo! って、審査が厳しいって話はよく聞いてまして、登録申請しても、必ずしも登録してくれるわけではない、と注意事項にも書いてありました。また、登録には1〜2ヶ月かかることもある、とも書いてありました。申請して初めのひと月くらいは、まだ登録されてないかなあ、とこまめにチェックしていたものですが、8月半ばを過ぎた辺りから、あ、こりゃだめだったのかも、とあきらめモードに入ってました。

それが、それが、それが。

登録されちゃったりなんかしたりしたぜ。う、う、う、うれしい!

あとは、ここまで人目に付くようになったんだから、内容を更に充実させたいですな。

ちなみに、Yahoo! のカテゴリーだと、


ホーム > 芸術と人文 > 人文 > 文学 > ジャンル > SF、ファンタジー、ホラー > 作家 > 新井素子


で、「新井素子研究会」が出てきますぜ。もちろん、Yahoo! のトップページで文字列「新井素子」を検索してもらっても、バッチリ素研の名前が出てくるのさ。解説文が異様にあっさりしすぎ、なんてのもあるが、それはこの際、気にしない気にしない。

俺の身に久々にいいことが起こった、という気がするな。

知らぬ間に「たまゆら」1周年だった。 2000年09月18日 23時56分

このホームページを開設して、なんと一年が過ぎました。なんかもう、はえーんだかおせーんだかわかんねー一年だったぜっ。

力入れてやってるサイトなら、特別行事でもしてそうなイベントだけど、うちはなんにもないのよん。つーか、すっかり忘れてたのよん。ついさっき気がつきまして。誰も祝ってくれねーから、自分で自分を誉めてやろうと思ったってわけさ。偉いぞ、俺。そうか?

この頃日記もほとんど書かなくなってきたしなあ。これは俺の余裕のなさだと思って下さい。日記書く暇があったら寝たい、というのが本音だが、これがなかなか眠れないのが困ったもんだ。だって、眠ると、明日が来るじゃん。そうすると仕事しなくちゃいけないじゃん。心理的プレッシャーって相当なもんだ。


このごろは「新井素子研究会」がいい調子です。コンテンツも徐々に増えつつ、訪れる人もゲストブックに書きこんでくれる人も出てきました。全く見ず知らずの人から(しかも海外から)メールも届きました。カウンターの伸び具合も日に数十件ペースで、ホームページ作ってよかったなあ、としみじみ思っております。

ホームページ作ってて、何がうれしいかって、やっぱり見てる人からの反応が帰ってくるのが一番だね。しかも、誉められてたりすると、「俺の生きている意味はここにあるのだ」なんて思うよ。大げさ。つーか、もっと何かやって喜ばしてやろうか、って気になるよ。素研には力入れてるですよ。

つっても、「たまゆら」は手を抜いてる、というわけではないので、誤解なさらぬよう。


とはいいながら、日記はなかなか書けない。

深い意味はない。 2000年09月11日 00時25分

哲学ってのは自分と世界の間に抜き難く存在している違和感を解消しようとする行為なんじゃねーかと思う。周りの世界を自分が納得できる方法で読み解こうとしている、つったらいいのか。

「抜き難く存在している」ってのがミソですな。つまり、違和感のない人にとっては全く必要ねーってことです。


あ、あと、結局のところ自分以外のものについて100%完全な形で理解する、ッつーか、わかる、ってのは全くもって不可能でそ。

完全な形での情報伝達ってのは人間の身には不可能ですから。ま、今更って感じだけど。

だから私らは、自分にわかる形で、自分の中に物語を組み上げるわけです。外部のものを物語として取りこむのです。個々の物語と物語のせめぎあいによって世界というのは成り立っております。


そんだけ。

本屋がなくなってしまった。 2000年09月07日 23時16分

うちの町には一軒の本屋があった。俺が生まれる前からあった本屋で、俺も小学生や中学生の時は雑誌を買ったりマンガを買ったり、よく利用していたものだ。そんなに大きくない、どころかむしろ小さい本屋だったが、遠くにある大きい本屋などめったに行けない中学生にとっては欠かせない存在だった。

たしか中学3年の時だったか、隣町にある本屋の支店がこの町にできた。その本屋には売っていなかった「新・幻魔大戦」だのグイン・サーガだの、名前を知っているだけだった本がそこにはあった。遠く離れた世界の物が一気に現実化したことに俺は熱狂し、あまりその本屋には行かなくなった。その間も、その本屋は移転して店の規模を大きくしたり、レンタルビデオを始めたり、といろいろがんばっていたようだった。

それが、最近店の前を通りかかったら、本屋ではなく別の店になっていた。軽いショックを覚えた。

俺が熱狂した隣町の本屋の支店も、2年くらい前になくなってしまった。だから、その本屋が、町内唯一の本屋であったのである。それがなくなった、ということは、うちの町から本屋がなくなった、ってことだ。

今となっては俺自身も車で離れた町まで本を買いに行ったりできるので、近所の本屋がなくなって困るってことは全くないんだけど。でも、自転車コロがすしか交通手段を持たないガキどもは、自分で本を買いに行くことはできなくなってしまうんかな。コンビニなら雑誌は売ってるけどな。それとも、やはり今のガキは本など読まないんだろうか。俺が本好きのガキだっただけに、もし本好きのガキが今もいたら、行き場がなくなってしまうんではないかな、とか、そういうこと思うとちょっと切ない。

事故った。 2000年09月02日 23時54分

事故った。車の事故である。当事者は俺。俺の運転するホンダ・シビックが赤信号を無視して交差点に突入、横から来たランド・クルーザーとぶつかって中破した。左側のドアは全く開かず、左前輪はパンクしていた。

俺の車は、隣に次長を乗せており、店に帰る途中だった。原因は、俺の不注意である。信号が全く見えなかった。次長に「信号、赤だぜ!」と言われてようやく気づいたときは既に遅し、相手の車にぶつかっていた。

怪我人がなかったのが不幸中の幸いといえばそうだ。たまたま信号が変わったばかりで、相手の車もスピードが出ていなかった。もし、ランド・クルーザーがスピードを上げたまま交差点に入ってきていたら、と思うとぞっとする。俺の命なんかどうでもいいが、他の人が犠牲になっていたら、と思うとやりきれないものがある。

車を運転し出して3年になるが、事故を起こしたのは初めてだ。普段から、そんなにスピードを出すこともなく、危ない運転をしているわけでもないのに、事故は起こった。

疲れているんだろうか。自分で自分が恐ろしい。

業務中の事故ということで責任の一端を担うことになった店長や、それから、店の人や、交差点の近所の人に、ものすごい迷惑をかけた。申し訳ないとしか言い様がない。

すごいショックだ。


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