「ROCKIN’ON JAPAN」11月号という雑誌を買った。
このような音楽雑誌は一回も買ったことがない俺が、なぜ今回に限り買ってしまったかといえば。
それは表紙がこちらの急所に思いきり突き刺さったからである。
どんな表紙なのか。
写っているのは椎名林檎である。
頭に看護帽、チェックのワンピースの上にエプロン風の白衣を着、足にはひざ上までの白いストッキングとサンダルをはいた椎名林檎が、アスファルトの道路の上に仰向けに横たわり、切なげな目でこちらを見上げている。
この雑誌を店出ししている時、すごい興奮した。というか、はっきり言って欲情した。
あやうく前が膨らみかけたが、そんな状態でお客さんの前に出たりしたら「あそこの店員、仕事中にチンポおったててるのよ、近くに寄っただけで妊娠しそう」とか女子高生の間であらぬことが噂になってしまうかもしれんので(大妄想)、それだけは必死に我慢した。そういう時は、今までの経験から般若心経が有効である。心の中で唱えるだけで、煩悩の炎が嘘のように消えて行く。ありがたやありがたや。なんてことではなく、単に意識をそらしてるだけなんですがな。「BE FREE」という漫画の中で、数学教師が授業中に勃起を抑えるために数式を暗証するというのがあったけど、あれとおんなじですわ。職業的僧侶の人は射精を我慢する時きっとやってるに違いないと思うんだが、どうか。
閑話休題。
音楽雑誌でこの色気ムンムンの表紙とは一体何ごとか?
それからずっとこの表紙が気になってしかたがない。で、思い余って買ってしまった。
ずっと前に「紙のプロレス」という雑誌が、「色気とは何か?」という特集を組んだことがある。その中で、ターザン山本が「色気」の定義として、「誘って待つこと」と言っていた。
これだけ聞くとなんじゃこりゃって感じだ。俺はターザンは心の底から嫌いだが、しかし、この言葉にはけっこうピンと来た。
要はね、”スキ”だと思うのよ。”隙”。女性が時折見せる無防備さ、というか、あ、今ガード下がっただろ、という態度に感じられる、こちらのつけこむ隙って奴ですよ。
これがゾクゾクするのは、その無防備さの向こうに何か罠が隠されてるんじゃないか、というリスクを感じずにはおれないところだ。蜘蛛が糸を張って獲物を待ちうけるような、サイレーンの魔女が歌声で旅人を引き寄せるような、手を伸ばしたらなにかとんでもない痛い目にあうんじゃないか、という危なさ。それをも感じつつ、なおその存在の核心に迫りたいという欲望を刺激するもの。ここに僕はたまらない「色気」を感じる。
そういえば、安倍公房の『砂の女』の冒頭に、こんなことが書かれていた。
”罰が無ければ、逃げる楽しみもない”
初めて読んだ時はよくわからなかったが、上記のようなことを思いついてから、そういうことか、と勝手に解釈している。
椎名林檎の写真がこちらの五感を刺激して止まないので、なにげなくその写真を取ったカメラマンの名を見れば、荒木経惟であった。納得。このおっさんのイヤラシサはただごとではない、と思う。あ、これはホメ言葉ね。
見れば見るほど「色気」を感じる写真である。一見すれば彼女はまるきり無防備に見える。では、そんな彼女の危なさとは?
よく見るがいい。彼女の左手には石ころが握られている。
28日、行って来ましたよ。ジュビロ磐田vs柏レイソル。
当日、静岡は大雨、大風に雷まで鳴っているという最悪のコンディション。
試合が始まる頃には小降りになったんですが、試合途中でかなり強い降りに何度も襲われ、見ているこっちもずぶ濡れになっちゃいました。このあいだ行われたセリエAのペルージャ対ベネツィアみたいでした(名波、活躍してましたね)。客席で傘はさせないんで、会場の売店でジュビログッズの雨合羽を買って着ました。3000円しました。胸に輝くジュビロの紋章、サックスブルーがすごくきれい。いい感じです。僕は今までレプリカユニフォームとかのオフィシャルなものを身につけて見たことがなかったんで、これは少しうれしかった。かなりミーハー入ってます。
観客の出足も鈍かったです。17,000人収容のジュビロ磐田スタジアムに7,000人弱しか入ってませんでした。スタンドはかなりさみしかったです。
そんな悪コンディションに加え、平日開催ということもあったのでしょうが、なにより、このごろジュビロがホームで全然勝てない、というのが一番の原因ではないかな、と思ってしまいます。僕が見に行ったホームの試合は、2ndステージは全部負けてますから。
この日の試合も、1−0で負けました。これでホーム5連敗です。はああ、出るのはため息ばかり。
つまらないサッカーをしてました。ジュビロのいいところが全然見えてこない。
中盤のパスは簡単に相手にカットされるし、サイドからのクロスも精確さに欠け決定機を演出できない。ジュビロがボールを持って相手ゴールに迫った時も、相手のディフェンスを崩すことができず、いたずらにボールを回してるだけ、という場面が何度もありました。試合中に決定的な場面を作ったのは一回だけじゃなかったかな。
中山、福西、山西という中心選手をケガで欠いたのは痛かったけど、そういうときこそ控えの選手が活躍するのが強いチームなのにね。なんでエスパルスから獲得した安藤選手はベンチにも入ってなかったんだろう。右サイドの久藤選手が調子良くなさそうだっただけに、よけいにそう思いました。
僕が見ていてわくわくした、圧倒的なボール支配からの重層的な攻撃、というあの強烈に強いジュビロはどこに行っちゃったんでしょうかね。
今のジュビロは悲しいくらい弱いです。
この調子でチャンピオンシップは大丈夫なのかなあ。大丈夫じゃないよね。
次節は30日の土曜日、国立競技場でのヴェルディ川崎戦。
個人的には、アジウソンをボランチにしてはどうかなあ、と思います。
三浦文丈選手と安藤選手はスタメンでね。
最低、勝てなくてもいいから、いいサッカーを見せてくれ。頼むよホントに。
「地獄の黙示録」を見た。フランシス・フォード・コッポラ監督の映画である。
ずっと前に金曜ロードショーかなんかで見た記憶があるんだが、HIDEO の言ってた最初のヘリコプターのシーンとか全然思い出せなかったので、改めて見ることにしたのである。
記憶と全然違っていた。俺が断片的に覚えているシーンなどどこにもなかった。俺が記憶していた映画は「地獄の黙示録」ではなかったのか。それとも、俺はその時、全く別の世界に入りこみ、もうひとつの「地獄の黙示録」を見ていたのか。自分の踏みしめている大地がいきなり消失したように、ふと現実感を喪失し、軽いめまいを覚える。
内容は強烈だった。戦争という異様な緊張状態に巻きこまれている人間たちの肖像が、こちらの頭に嘔吐を伴うような気持ち悪さとともに刷り込まれてくる。「いい波がある」という理由だけで、ベトコンの村を攻略しようとするサーファーの指揮官が恐ろしい。その時、ヘリコプター部隊はワグナーの「ワルキューレの騎行」を大音量で鳴らしながら進軍する。この映画で唯一気分が高揚した場面だった。これから殺戮が行われようとしているのに、そう感じる自分に少し嫌悪感を抱く。
主人公の乗るボートがジャングルの奥に進むにつれて、こちらも逃れられない泥沼にどんどん足を取られて行くような感覚に引きずり込まれた。
現実でないもの、通常の自分は意識しないもの、狂気、がひたひたと押し寄せてくる。最初に感じた現実感の喪失とも共通する感覚。今自分の依って立っている場所なんて、しょせんものすごく脆く儚いものでしかないのではないか、という喪失感。
決して逃れることのできない悪夢を見ているような映画であった。
以前、掲示板の方でアーサー・C・クラークの著作として
「3001年宇宙の旅」
というのを紹介しましたが、間違いでした。
正しくは、
「3001年終局への旅」
でした。
自分で読んだ本のタイトルも間違えるんだから、ちょっとどうしちゃったの、って感じです。
いやはやなんとも。
開設して1ヶ月半くらいですが、間違い情報が多くて反省してます。
しょっぱいホームページですいません。(平田淳嗣調)
気がついたらその都度訂正して行きますので、おかしいところがあったら指摘してやってください。
ネット上に、自分の子どもへの虐待をつづった「虐待日記」なるホームページがあったそうで、今日ニュースでやってた。ホームページ自体はすでに閉鎖されたらしいが、それをコピーした奇特なひとが、海外のサイトで公開してるようだ。TVに映ったそのホームページはどう見ても geocities のホームページ作成ウィザードで作った物だった。なるほど、ご近所さんにもいろんな人がいるんですな。
ニュースによれば、その内容が事実か創作かは確認できなかったらしい。
ただ、虐待するのが悪いのか、といったようなことが書いてあったらしく、事実か創作かに関らず、それには俺は腹が立った。
虐待するのが悪いことかどうか俺は知らん。
でも、そういうこと言うからには、俺があんたを虐待したい、と言えばよもや断ったりはしねぇだろうな。その日記に書かれていたのと同じことを自分の身で味わってもらったあと、虐待するのが悪いのか、とまだ言えるかどうか試してみたい、という欲求がふつふつと体の中に湧き起こってくる。
もしも言えないようならば、葵の印籠を出したあとの水戸黄門のじいさんのごとく、鬼の首でも取ったかのように大笑いしてやろう。ざまあみろってなもんだ。
我ながら発想が暗い。
しかし、俺がやられてイヤだな、と思うことを平気でやってる奴らを見ると、同じ思いをさせてやりてぇ、と思ってしまう。
土曜の夜中に大型農道をでかい音立ててバイクぶっとばしてる族の方々には、頭だけ出して地面に埋めてから、耳元でそいつのバイクのマフラーを思いきり吹かしてどんだけうるさいか味わっていただきたい、とかね。
目には目を、歯には歯を。復讐である。アマゾンライダーの教えである。
復讐は復讐を呼ぶだけだとして福沢諭吉先生は否定なさっておられるがな。
それでも、成し遂げた瞬間はかなりすっきりするんではないかな、と想像してしまうものである。
実際にやってみようって思ってるわけじゃないよ。
ああ、書いたら少しすっきりした。
この日記は俺にとってとてもいいガス抜きである。
タイトルからいきなりぶっ飛んでますが、この激しくもかなりピントのずれた雄叫びは、私の主張ではなく漫画のタイトルである。
著者はサムシング吉松。スタジオライブに所属するアニメーターである。
「セガサターンマガジン(SSM)」からその後継雑誌である「ドリームキャストマガジン」に渡って連載されているこの漫画が、このたびコミックスになったのだ。
私は過去にSSMを買っていたことがあり、その頃からこの漫画おもしれぇ、と注目していたのである。うちの店で発見して、すぐ買って読んだ。
「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!」というタイトルからしてけっこうキテルが、内容もSEGAを馬鹿にしまくりである。よくこんな漫画がSEGAゲー専門誌に連載できたな、というほどのアブナサだ。作者はそうとうのSEGAマニアらしい。ネタが核心を突いている。笑える。それでも馬鹿にしかたが、ああ、この人わかってるな、という印象があるのがいいのである。ぼろくそに言いつつも結局は好きだ、という屈折した愛情。可愛さあまって憎さ百倍、というか。
SEGAのゲームに思い入れのある人はいっぺん読んで見るといいんじゃないでしょうか。
私自身はSEGAにあまり思い入れはない。
初めて買ったゲーム機はスーパーファミコンだった。また、それで遊んだゲームが滅法おもしろく、これさえあればほかのゲーム機なんかいらねぇや、と思いこんだ任天堂原理主義者だった。だからメガドライブなんか買う気もしなかった。(ましてやPCエンジンなんて何をか言わんや、って感じ)
ただ、それからゲームの世界にハマって行くにつれ、SEGAが無視できなくなったんである。(具体的には「バーチャファイター」と「ラストブロンクス―東京番外地―」にハマった。特に「ラスブロ」はおもしろい)あげくに専門誌まで買うようになる始末。
あのころからすでにコンシューマ機はマニア向けとか言われていたが、なんでこうSEGAという存在はマニア魅きつけずにはおかないのか。すごくがんばってるわりにやることが間が抜けてる、というのが要因かもしれない。その筋の人の同情が集まるのである。
今現在、「サカつく」を発売したからだろう、TVでサッカー番組を見ると、必ず”Dreamcast”がスポンサーについている。静岡ローカルの番組でさえそうなんだから、多分全国規模でやってるんだろう。力入れてるなあ。これからドリームキャストはどうなるのか。売れるかなあ。
プレーステーション2が発表されちゃって、状況はさらに厳しいと思われる。
がんばれ、ドリームキャスト! 俺は買わないけどね。ドリドリ。
「バガボンド」がすげぇおもしろい。
作者は「SLUM DUNK」の井上雄彦。吉川英治の『宮本武蔵』を原作にした、宮本武蔵が主人公の漫画だ。モーニングで連載されている。
俺は連載の方をずっと読んでいて、毎週毎週木曜日にコンビニでモーニングを立ち読みするのをとても楽しみにしているのだ。
(え? 本屋に勤めてるんだから自分の店で読めばいいじゃないかって? ごもっとも。でも、うちの店、モーニングが1冊くらいしか入らないのよ。希少な商品に手を付けるのはちょっと気がひけるんで)
そんなわけでコミックスは買っていなかったんだが、今日第四巻が発売されたんですわ。
で、それを期に最初からまとめて読みたくなって、思わず全巻買ってしまったという訳だ。
家に帰って読み始めたら、もう一気に最後まで読み終わってしまった。
圧倒的におもしろい。画も物語もものすごいパワーを放っている。
「SLUM DUNK」もそうだったけど、この作者は、主人公が戦いながら強くなっていく、という過程をものすごく感動的に書いてゆく。
これからどんな強いやつが出てくるのか。
武蔵はどこまで強くなるのか。
気になってしょうがない。気になる―!
こうしてまた来週木曜日もコンビニで、俺はモーニングを読むのであった。
あ、いけねえ。今週まだ読んでねぇや。あした読も。
何回も書いてる橋本vs小川だが、どうにも文章化が困難である。
考え出すと、フラッシュバックのように試合の風景が頭に浮かび涙が出てくる。
自分の気持ちが落ち着くまで、しばらく書こうとするのは凍結しよう。
橋本vs小川を見終わって1日経つが、まだ冷静に振り返ることができない。
再戦が決まってから、思い入れを込めてずっと展開を見守っていた。 それは10月11日に結実するはずだったのだが、俺の中に「終わった」という気持ちは微塵も湧いてこない。膨らみすぎた感情エネルギーが慣性となって働いているようだ。終着点を過ぎても感情はまだ動きつづけている。
いや、違う。まだ全然終着点なんかじゃない。
強烈に強かった小川。その殺気、とまどい。
本気で挑んだ橋本の敗北。
試合を途中で止められなかった藤波の気持ち。
猪木の感情、そして涙。
だめだ、感情ばかり先走って文章が書けない。
これだけは言っておく。
電車が駅に止まっても、レールはその先に続いている。
この戦いは一応の決着を見たが、まだ全然終わっていない。
最後に、前に橋本のことを”全然ダメ”と書いたが、お詫びして訂正する。
ダメじゃなかった。本気の橋本は凄かった。
いい試合だった。感激した。感情が激した。涙が止まらない。
「日本酒について」のページを作った。
発端は「買ってはいけない」のウソ記述である。ああいうことされると腹が立ってしょうがない。 怒りは、物事にとりかかる時の非常に有効なエネルギーになる。自分が知識を啓蒙せねば、という気にさせてくれる。他人に言わせれば余計なお世話だろうが、そんなことはお構いなしのパワーが出るのである。やべぇ、これって「買ってはいけない」の執筆者と同じ精神状態かもしれない。
動機はそんなもんだけど、コンテンツが増えた、というのはこのページにとってはいいことである。
次は、静岡、特に俺が住んでいる地域の地酒を紹介していこうと思う。
「ケイゾク」を見終わった。面白くないこともなかったが、いまいちだった。
話に無理があるのである。ノって見ているときは細かい破綻は無視できるんだが、それがあんまり重なると気になってドラマに集中できなくなる。話が転がり始めてから、シンクロ率がどんどん落ちていった。
明日からは「機動戦士Zガンダム」に取りかかろうと思う。
静岡では、今日これから、10月11日の橋本vs小川戦を放送する。
雑誌、新聞で結果や展開はわかっているんだが、こればっかりは自分の目で確認しないとなにも言えんからな。
楽しみで楽しみでわくわくする。TVのプロレス放送がこんなに待ち遠しく思えるのは、一体いつ以来だろうか。おもしろいなあ。
あ、リンたまが始まった。あと30分だ。
続きである。
今度は日本酒のことについて書いてみたい。
『日本盛』についての告発文の中に事実誤認がある。引用する。
「本醸造」はアル添酒である。ただし配合割合は白米重量の10%以下と低く規制されている。「特別本醸造」などと「特別」がつく酒は、米とりアルコールを加えたもの。それだけ米の風味は生かされている。
間違っているのは「「特別」がつく酒は、米とりアルコールを加えたもの」という下りである。
「本醸造酒」とは、米・米麹・水で作った醪(もろみ)に、規定量以下のアルコール添加をしたもので、精米歩合70%以下のものを言う。これに「特別」がつくと、精米歩合60%以下か、または特別の製法(説明表示を要す)の本醸造酒を言う。「米とりアルコールを加えたもの」ではないし、また、そのように解釈するなら、「特別純米酒」というのはどう説明するのか聞いてみたいものだ。執筆者はどうも日本酒のことをよく知らないようだ。
(当ホームページに日本酒の分類というページを設けたので、見てやってください)
その思いは続く一文を読むと俺の中ではもはや確信に変わる。また引用する。
酒を選ぶなら「特別本醸造」以上にしたい。すると、裏切られることはない。
日本酒を趣味で飲む人ならわかると思うんだけど、「特別本醸造」以上、と執筆者がいう日本酒だからといって、全部が全部自分好みの味をしているわけではない。大吟醸を飲んでも、俺の口には合わねぇな、と思うこともしばしばである。また、「特別本醸造」より下、と勝手にランク付けされた「本醸造酒」であってもうまいと思う酒はたくさんある。さらに言えば、日本盛の本醸造よりうまい普通酒の地酒なんてのも俺は飲んでいる。
味なんてものはしょせん各人の好みで選ぶものなんであって、ランクの高い酒は無条件にうまい、なんていう発想こそが無意味なのだし、はっきり言って余計なお世話である。
「ニセモノの日本酒を見わけよう」という見出しがこのページにはついているのだが、基本的な知識もなければ日本酒の味もわからない人がいう「ホンモノ」なんて、要するにただのブランド志向じゃねーか、と腹立たしくも思う次第である。「買ってはいけない」なんていう前に、うまい酒もまずい酒もまとめて飲んでからほざきやがれ。
実はまだ全部読んでいない。
読むのが苦痛なのである。書いてあることが衝撃的な事実ばかりで恐ろしいから苦痛なわけではない。単にどの商品に対する解説も同じことばかり書いてあるのでつまらないんである。で、途中で飽きて読む気がしなくなったので、今の時点での感想を書いてみることにする。
読み物としてつまらない、というのは上記の通りだ。例えば食べ物や日常品の場合、有害物質とされる添加剤の名前と、それを使った際の人体への影響、そして、添加剤を含まない商品への賛辞がどこを読んでも書いてある。どこを切っても金太郎、の金太郎飴みたいである。これなら、わざわざ文章で書かなくても、商品の名前と添加剤を一覧表として提出してくれた方がよっぽど気が利いてる、と思う。
執筆者の商品批判のやりかたも個人的に気にくわない。
ここで示されているデータが実験的に正しいのかどうか、俺は専門家ではないので判断はできない。(出所不明の実験結果が平気で書いてある)なので、ここに書かれているような害が人体にあるかどうか、というのもわからないので、判断は保留する。だが、正当な実験結果だったとしても、「買ってはいけない」という自分の主張を正当化するためにこの文章の中で我田引水に使われている、という印象が強い。
「この商品はダメだ」という結論が先にあり、それを補強するための道具として使っているだけなんじゃないのか。添加物が嫌いで自然の物をありがたがる傾向のある人たちが、そういう自分の思いこみを「これが絶対的に正しい」と信じきって、それに外れた物を叩いてるだけじゃないか、という気がする。
なぜ俺がそう思うに至ったかというと、筆者たちが自分が使っている自然志向の商品を「ホンモノ」と呼び、そうでないものを「ニセモノ」と呼んでいるからである。「無害」「有害」という区分けでいいと思うのだが、それがなぜ「ホンモノ」「ニセモノ」という価値感と結びつかねばならないのか。添加物を使わないのが正しい、と思いこんでいるからではないのか。ここに理屈は存在しない。
だから、全体の印象としては、「企業批判」というより、そういう内容の信仰告白を読まされているような気になる。「ニセモノ」に対する悪意と、自分は「ホンモノ」だという優越感をここから感じてしまうのは俺の偏見か。だが俺は、自分の正当性を信じて疑わず、その「正当性」自体には無批判で、それを他人に(しかも全くの善意で)押しつけようとする奴らにたまらないイラダタシサを覚える。
さらに不快な点。すごい細かいことで申し訳ない。
キリンのラガービールに対する告発文の中で、次のような文章がある。
「キリンラガー」といえば、音楽界のドン、松任谷由実の音楽をバックにドラマ仕立てのテレビCFを流し、消費者の購買意欲を刺激してきた。
どうも筆者は企業の大量の宣伝により(彼らの言う)「ニセモノ」を消費者に売りつけている、というのが気に入らないみたいで、巻末の筆者同士の対談ではそのような企業の姿勢を批判したりしているのだが、この文章にも俺は多大な悪意を感じてしまう。
単に、松任谷由実、と書けばいいものを、「音楽界のドン」とわざわざ称号をつける点がおかしい。しかも「ドン」というあまり聞こえのよろしくない言葉を使って揶揄している。CMに関るのは歌手でも許さない、ということなんだろうか。しかし文章の主旨とは関係ない「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式の個人的な悪意を読まされる読者こそいい面の皮である。俺がユーミンファンだから余計に気になった、ということはあるかもしれないが。
以上のような理由で、読み物としてたいへん不快である。
長くなったので、一旦ここで終わります。
Part2では、日本酒のことについて書いてみます。
「買ってはいけない」を読んでいる。話題の本である。うちの本屋でもかなり売れている。
ふだん使っているもので、人体に有害な物質を含んでいる製品がある、という告発はかなり衝撃的である。非常に興味深い。
ただ、個人的には書いてるやつらの姿勢が気にくわない。日本酒に関する基本的な事実の誤認もあったりするので、これについては、稿を改めて、まとめて何が気にくわないのか書いてみたい。
「赤ひげ」を見る。黒澤明の映画である。三船敏郎の格闘シーンがかっこいい。いや、小石川養生所を舞台にした人間ドラマなんだけど、ちゃんとこういうシーンがあるのだ。黒澤はつくづくエンターテインメントな人だと思う。
三船敏郎という人は、無骨で善良な人間がよく似合う。黒澤明の映画で演じる三船を見るたびに思ってしまうのだが、”STAR WARS”のオビワン・ケノービをこの人が演じてればよかったのになあ、と改めて惜しまれる。
「COWBOY BEBOP」を全話見終わる。TVで放送できない内容だ、ということでWOWOWで放送されたアニメである。人が血を出して死ぬのが問題なのか? たいしたことねぇじゃねえかよ。わからん。
内容はと言えば、渋い、渋すぎるよ、アンタ。
ありがちと言えばありがちな話なのかもしれないが、ちょっとカッコイイ。
でも、映画化が決定したそうだが、あの終わり方で続編を作れるのか? それとも外伝みたいなかたちにするのか。アニメ誌を見ないのでわからんが、どうなんだろう。ちと気になる。
「ケイゾク」というTVドラマを借りてきた。刑事ものである。
映画化されるらしいし、ネットでも熱心なホームページがたくさんあったので気になって、前から見たかったものだ。
警視庁の迷宮入り事件(これを”ケイゾク”という)を扱う部署(閑職)に配属された東大出の新人女刑事が、事件を次々と推理し解決して行く、という物語である。
ディテールにこだわって見ると、事件の設定がかなり安直だったりして、これで迷宮入りしてたら日本の警察はよっぽど無能だぜ、と思うほどいただけない。しかし主演の中谷美紀の演技(怪演!)が素晴らしく、それに全体の雰囲気が引っ張られて、細かい事を気にしなければけっこうおもしろい。
まだ第6話までしか見てなくて、続きが早く見たいところである。
しかし、ビデオ屋ではいつも貸し出し中なのである。うーん、なんとかならんのか。
あと、オープニングテーマ曲(歌:中谷美紀)と、そのバックの映像も見ていてたいへん気持ちがよろしい。しかも毎回細部を変えてるという凝りようである。
オープニングがおもしろい作品って、内容もおもしろいのが多い。
「エヴァンゲリオン」しかり、「COWBOY BEBOP」しかり、「真・女神転生」しかり、「踊る大捜査線」しかり。それだけスタッフが力を入れてるという事なのか。
「パースペクティブ主義」というテクニカル・タームがあるらしい。ある本の中に出てきた言葉で、こちらもまだ全部は読んでないのでよくはわからないんだが、俺が最近良く使っている言葉「全ては解釈である」って立場を言う言葉だとか。やっぱ先に言った人がいるんですな。
前田日明ふうに言えば、「ニーチェ、お前もわかっとるやんけ」って感じ。
(ホントにこう言ってた)
HTMLってのも難しい。
まだ、自分が技術に精通していないからなのだが、やりたいことができなかったりするとどうにもイライラする。
テキストをバランスよく配置するにはどうしたらええんじゃああ、とかね。
そういうのも含めて、ホームページを作るのっておもしろい。
いろいろ試してると、時間がたつのを忘れてのめり込んでしまう。
昔、「ファイナルファンタジーIV」をやっていた時を思い出す。
就職して初めての給料でスーパーファミコンを買い、その時に出会ったゲームだ。
あの時は、この世にこんなおもしろい物があるのかと非常に感激し、寝食を忘れてやりふけった。
一晩中ゲームに熱中し、ほとんど寝ないで会社に出勤した、なんてこともあった。
しばらくいろいろなロ―ルプレイングゲームをやり続けていたものだ。
(「真・女神転生」や「MOTHER」もむちゃくちゃよかったなあ)
今も、仕事が休みの時はずっとPCに向っている。
さすがに寝食を忘れる、とまでは行かないのが、ちょっと年をくったのかな、と思う今日この頃である。
まだまだ工事中なんですが、自分の満足行くものを作って行きたいと思っております。
TOPページを変えてみましたぜイエーイ。
こういう作業をすると自分の美術的センスのなさに愕然とします。
プロフィールとリンクを削除しましたが、これは別のページにして復活する予定。
ボチボチやりますんで、長い目で見てやってください。
10月11日。
その日、私は前からひいていた風邪が一向に良くならず、祭りの後片付けにも出ずに、村八分になる恐怖におびえながら、家で寝ていた。
そんな状態でも、気になるのは、東京ドームで行われる橋本vs小川戦である。
新聞の番組欄を見ると、めったにプロレスなど取り上げない「ニュースステーション」が、この試合の模様を報道すると書いてある。その日のうちに試合の映像が拝めるなぞ、地方の人間にとってはまさに僥倖だ。ネットに入れば早々と結果を知ることができるのはわかっていたが、放送の時間まで、あえて待つことにする。
21時30分くらいに、埼玉在住の友人Tから長距離電話がかかってくる。電話口で名前を聞いた瞬間に、今日の試合のことだろう、と直感する。果たして、彼は東京ドームまで見に行ったということだった。ニュースを見るまで、あえて結果は聞かないようにしていて私だが、他ならぬ友人Tだし、彼とプロレスの話をするのも久しぶりなので、東京ドームの試合結果を聞きながらおおいに盛り上がる。たいへん楽しい。
その後、ニュースステーションの試合報道(角澤アナウンサーってプロレスファンだろ?)、さらに「トゥナイト2」の橋本vs小川特集(よくできてた)までLIVEで見ながら、試合について微に入り細に渡り語り合う。その間3時間以上にも及んだが、彼の電話代は大丈夫だろうか。
試合結果である。
小川直也 (13分10秒 TKO) 橋本真也
テレビのダイジェスト放送を見た。
友人から話を聞いた。
さらに今日は新聞が休刊日のため、わざわざ早起きして、出勤前に、勤務地のある町と反対方向にある隣町のJRの駅に行き、買ってきた日刊スポーツを読んだ。(都会では新聞休刊日でもコンビニで駅売りのスポーツ新聞を売っているが、こちらで売ってないのである。駅売りの新聞は駅に行かないと置いてない)
橋本の完敗であった。
ほとんど勝てないだろうとは思っていたが、プロレスファンにとってはなかなかにショックな結果である。
が、しかし、そう言う結果を度外視しても、いい試合であったのではないだろうか。
殺しに行った小川。
今度は勝負した橋本。
橋本にとことんまで勝負させるべきか、最後まで迷ったレフェリー・藤波。
そして、これ以上やったら危険というギリギリのところで、小川を止めた猪木。
崇拝する師匠であるにも関らず、新日を捨てたことへのわだかまりを捨てきれなかった橋本が、半死半生になりながら「ありがとうございました」と頭を下げた時、涙しながらかつての弟子・橋本を抱きとめた猪木。
自分で書きながら涙が出てきた。
ここまで人間ドラマを極限まで見せつけた試合が最近の新日本プロレスにあっただろうか。そう、まぎれもなくいい試合だった。
いまは興奮気味で、まともな文書が書けていないような気がする。
ワールドプロレスリングで試合の模様をじっくり見たら、また冷静に試合とその後の新日本プロレスがどうなるか(どうなって欲しいか)について書けるかもしれない。
でも、なんかどうでもよくなっちゃったな。書くことによって、自分の中で物語の第一章が完結してしまったような気分だ。
ただ、これだけは言える。
橋本は負けるべくして負けたのだ。
その結果には、1・4の時のような不透明感は一片もない。
小川、強すぎ。
橋本、全然ダメ。
ならば、その、ダメな地点から、橋本はもう一度這いあがるべきであろう。
昔々のお話です。
あるところに一人のきこりがおりました。
ある日、きこりが森の奥の池のほとりでいつものように木を切っておりますと、なんとしたことか、勢いよく振り上げた拍子に、斧が汗で滑って池の中に落ちてしまいました。
池は見るからに深そうで、とても潜って取りに行くことなどできそうもありません。
きこりが途方に暮れておりますと、池の中から美しい女の人が現れてこう言いました。
「私はこの池に古くから住んでいる池の精です。何をそんなに困っているのですか?」
きこりが訳を話しますと、池の精は、ならば私が探してきてあげましょう、と言い、池の中にもぐって行きました。
しばらくすると、池の精はその手に金色のピカピカした斧を持って現れ、きこりにこう尋ねました。
「お前の落としたのは、この金の斧ですか?」
きこりが、それは私の斧ではありません、と言いますと、池の精はまた池の中にもぐり、今度は銀色に光る斧を持ってきました。
「お前の落としたのは、この銀の斧ですか?」
きこりが、違います、それも私の斧ではありません、と言いますと、池の精はまたまた池にもぐり、今度こそきこりが落とした鉄の斧を持ってきました。
「お前の落としたのは、この鉄の斧ですか?」
そうです、それこそ私の落とした斧です、ときこりが答えますと、池の精はにっこり笑って言いました。
「あなたは正直者ですね。ご褒美に、この金の斧と銀の斧もあげましょう」
と、三つの斧を木こりに手渡してくれました。
きこりはしばらく、自分に渡された金の斧と銀の斧を見ていましたが、やにわに金の斧を振り上げると、池の精の眉間に叩き下ろしました。
池の精は、ゲブ、とも、ゴボともつかない音を口から発すると、額に突き刺さった金の斧とともに、池の中に沈んで行きました。
きこりは、そばに落ちていた銀の斧も池の中に放り捨てると、めんどうくさそうに言いました。
「俺を試すな。何様のつもりじゃ、ボケが」
そして、自分の手に戻ってきた鉄の斧を持つと、再び木を切りに森の中に入って行きました。
後には唯、誰もいない小さな池の水面に、木もれ日がきらきらと降り注ぐばかりでございます。
宮本武蔵の話である。
武蔵がある藩の殿様に請われて、御前試合を行うことになった。
試合当日、登城した武蔵は、そのまま対戦者の仕度部屋に入ると、唖然とする相手をすかさず打ち殺してしまった。
怒ったのは殿様である。
試合前に仕度中の相手をいきなり襲うとはどういうことか、卑怯千万、とまさに切りかからんばかりの殿様に、武蔵が応えていわく。
試合の日時が決まった時点でもう勝負は始まっているのだ、油断している方が悪い、と。
聞きかじりで細部は覚えていないのだが、僕の大変好きなエピソードである。
で、プロレスの話である。
昨日10月8日、新日本プロレス・藤波新社長の就任パーティーが都内某ホテルで行われたのだが、それに先立ち、橋本vs小川のNWA世界戦の調印式が藤波社長の立会いのもとに行われた。
だがそこで、橋本が調印書にサインすると同時にテーブルを小川めがけて投げつける、という行動に出て、式は大混乱に陥った、と中京スポーツによるとそういうことらしい。
9月28日のロス襲撃事件といい、橋本が今回の決戦にどれほどの意気込みで臨んでいるのか如実にわかるエピソードで大変よろしい。
対して小川は、式が終了してもしばらく沈黙を保ったままだったようだ。今まで対戦相手を挑発するだけ挑発してきた「襲撃王」小川だが、今回ばかりは橋本の意外な「襲撃」攻勢に少し分が悪いのか。
いや、そんなことはあるまい。人間本当に感情が激している時は口なんて動かなくなるものである。小川も、かなりキテる、と思って間違いない。
1月4日、小川の不意打ちで橋本は惨敗した。その自分の甘さが身にしみたからこその、一連の行動である。
卑怯だろうが襲撃だろうが、勝負はやったもん勝ち、油断する方が悪いのである。
そう、ゴングはすでに鳴っている。
「ガメラ パーフェクトボックス」を買う。本体20,952円+税である。
なかなかいい買い物であった。社員割引で5%値引されるとは言え、それが焼け石に水に思えるほどのダメージだ。
中身はといえば、平成ガメラ3部作を網羅した写真集と、主要スタッフの寄稿文集、そして、おまけのガメラ+イリスのガチャポンフィギュア(非売品)。
さらにシナリオ(決定稿)が専用ハガキでの応募者全員にプレゼントされる。
自分で買っといて言うのもなんだが、ふつう、こんなの買うか?
どマニアしか買わねえだろ。俺はマニアじゃないけどな。
予約者のみの販売で、限定3000部である。それぞれにシリアルナンバーがついている。
俺の番号は”1753”。それは世界にひとつしか存在しないもの。
だから、誰にも見せてやらないのさ。え、別に見たくないって? キビシ―!!
昨日から地元の酒、「開運」のしぼりたて生酒(原酒)を飲んでいる。
原酒なのでかなり濃厚でアルコールもきつめだが、そう思うのは最初の一杯だけ。
あとは飲めば飲むほど芳醇な日本酒の世界に浸りきる心地よさが待っている。
はっきり言って、むちゃくちゃうまい。
東京の居酒屋だと一合で1000円弱の酒を、一升2341円で飲めるうれしさよ。
つくづく幸せな一時を感じまくる。
『ドラゴンヘッド』9巻を読む。
ものすごい緊迫感が最初から最後まで続く。
次の巻で終わるらしいんだが、一体どうなってしまうのか。展開が全く予想できない。
とにかく凄い。
昨日書いた文章は、我ながらダメダメだ。
意気ごみばかり強すぎて、書こうとする内容が気持ちに追いついていってない。
前にも書いたが、知り合いに読まれてまずいことは公開日記には書けない。
今日は「日記」を書いてみました。
プロレスはリングの中を語るだけで充分なのか?
そんな疑問が、今週の週刊プロレスを読むとわいてくる。
ライバル誌の週刊ゴングが9月28日に起きた橋本の小川直也襲撃事件を大きく扱っているのに対して、週プロは、冒頭の橋本インタビューと、巻頭記事でそういうことがあったという事実を伝えているだけだ。期待していた俺としてははっきりいっておもしろくない。こういう時は団体の御用雑誌、週ゴンの方が忠実に出来事を追っかける分、ストーリーを追うのに都合がいいということか。
浜部編集長の編集後記を読んで、さらに俺の気持ちはトーンダウンした。
いわく、「正直、橋本には10・11本番まで小川に対する全ての情念を自らのうちにタメ込んでおいて欲しかった」
なるほど、こういう編集長の方針により、リング外の出来事は大きく扱っていないのか。
続けていわく。「思わぬ騒乱を誘発した前回の1・4決戦そのものが、今回の再戦にあたっての「最高にして最大の」前フリ。余分なサイドストーリーは却って見る側の想像力を萎ませてしまう」
そうだろうか。橋本vs小川の再戦が決まってからの一連の両サイドの行動に、俺の想像力は膨らみっぱなしになっているんだが。
このストーリーを語る上での文脈の読み方が違う、
編集長が「余分」と思うものを俺が思いきりおもしろがっている、
はっきり言えば好みが違う、
と言ってしまえばそれまでなんである。
だが、1・4で始まったこの流れをあくまでリング上に絞って語るのって、俺が思うにとてもつまらない。あそこまでスキャンダラスな試合の後、このリング外の流れを全て含めて「前フリ」なんじゃないか。
それも、見る側の想像力を刺激しまくる、すごくいい前フリだったと思う。決して「余分」ではない。
週プロからターザン山本が去り、つまらなくなったと言われるようになって久しい。あえて毒を飲みこもうとしない、プロレスに対する共犯意識の薄さがその理由の一端であると俺は思う。
全ては10・11に結晶しようとしている。
だから、何が前フリだとかごちゃごちゃ言わんと、全部ひっくるめて見たらええんや。(前田日明調)
残念ながら、俺は東京ドームでは見れないけどね。
が、次回の試合も大いなる何かの「前フリ」ではないと誰が言えるだろうか?
今日は仕事で湖西まで行った。朝6時半起きで8時出発。
それから車で1時間40分、片道59kmの旅である。
天竜川んとこの渋滞も、そりゃもう大変だったんである。
初めて自分の運転で浜名湖の西に行った。
知らない道を走るのは疲れる。はぁぁ、疲れた。
2000円札というのが発行されるそうである。
国旗・国歌法案はろくに議論しなかったくせに、改憲には「充分に議論が必要」とかみえみえの小技を使う小渕政権のくその役にも立たないインパクト重視の政策だ。
「2000年はミレニアム(千年紀)に当たる。7月には九州・沖縄サミットもあり、2000円札を発行するのにふさわしい」(日刊スポーツより)
2000年はミレニアムに当たる? 意味がわからん。
何を言いたいんだ。何がうれしいんだ。誰か説明してくれ。
それで思ったんだけどさ、2000年に2000円札を発行するなんていう安易な政策が通るんだから、2001年にも2001円札発行してくれないかな。
表の肖像はアーサー・C・クラーク。
裏の図表は月面にそびえるモノリス。
すかしを覗けばスター・チャイルドが覗き返してくるって寸法だ。
これをやれば世界の注目浴びること間違いなし。
日本アニメが世界を席巻しているいま、世界中のオタクどもにさらに日本をアッピールする絶好のチャーンス。
NASAのオタク科学者なんか、涙流して喜ぶぞ。もちろんオイラも大喜びだぜ。
想像してみねぇ。
アメリカの2001年記念式典で打ち上げられたスペースシャトル・ディスカバリー号にあふれんばかりに積み込まれた2001円の札束。
宇宙飛行士と一緒に微笑む、2001円札のクラーク先生の肖像を全世界に中継だ。宇宙から世界に日本の文化を伝えるぞ。
これがホントの「2001円宇宙の旅」。すまん。
疲れてんのよ。
本日の日刊スポーツによると、藤波がレフェリーをやることになったみたいだ。
完全決着を狙った藤波は、初め猪木にレフェリーを要請したのだが、猪木のすげない拒否により自らが出馬する意向を固めた模様。
確かに、藤波がレフェリーとなれば、1・4の時みたいにレフェリーが気絶しててノーコンテスト、なんていう不透明な決着は避けられるだろう。
ただ、公平なはずのレフェリー役を、新日本プロレスという橋本が所属する会社の社長自らが務めるのはどうなのか? バトラーツの島田裕二のように、バーリトゥードやK−1を裁けるレフェリーもいることだし、本来は第三者に任せるのが妥当と言うものだろう、なんていう世間の声が聞こえてくるようだ。
個人的には、こういう硬派な試合は、是非、是非、山本小鉄に裁いてもらいたいんだが、百歩譲って、別に藤波で不満はない。自分の会社のレスラーに肩入れしたレフェリングをするなんて、新日最後の良心といわれた「いい人」藤波に限ってしないだろう。もし逆に橋本に肩入れしたレフェリングをしたとしても(これをやってしまったら俺は新日を見限るが)、それに怒った小川が、橋本を叩き潰した後に、リング上の社長にコナかけとけば(もしくは叩き潰しとけば)また新たなる遺恨勃発という、一粒で二度おいしい試合になるかもしれない。
そうか、それもおもしろそうだなあ。小川のことだから、藤波への挑発はなんらかの形で絶対にやるとは思うけど。
レフェリングに惑わされることなく、両者が死ぬ気でぶつかり合うのが理想なんですけどな。
新聞によると、28日に橋本がロサンゼルスで小川を襲撃する事件を起こし、それ以来行方不明になってるらしい。おもしろすぎ。
試合への期待は弥が上にも高まってくるのである。
橋本vs小川戦のルールは以下のように決定した。
「日記をバラす」というと、まるで秘密にしていた日記を白日のもとにさらすかのような印象を自分で書いてて受けた。
そうじゃなくて、9月分の日記をまとめて別ファイルにした。(解体する、という意味のバラす、ね)
月別リストと過去の日記の2ファイル作るだけで1日仕事ですわ。
geocitiesのファイルマネージャーでちょこちょこと作り上げていくのである。すげぇ苦労した。
その割には大したものはできてないですがな。ご意見等ありましたら、メールをお送りください。
なお、ページの構成についてはHIDEOくんのホームページ"volatile3"を勝手に参考にさせていただきました。
ホームページで公開してる日記って、最初からバラしてるわけだから、いまさらバレてどうこうってこともないよな。
日記というのは、一般的には公開しないことが前提に書く。だから、極めてプライベートなことを書いたりする。人に知られては困るようなことが書きつけてあるような日記は、読まれるとたいへんマズイ。
人が読まない文章というのは、少なくとも俺は書く気がしない。
俺がホームページを作ったのだって、自分の意見を発表する場が欲しかったからだ。
そういう意味では、俺が書いているのは日記ではないのだろう。個人版「天声人語」みたいなもんか。(こりゃまた大きく出たね)
ただ、俺の場合、人が読むか読まないか、というのは実は問題ではない。読んでもらえて、おまけに反応を返してくれたりすれば、もちろんとてもうれしいが、俺の中では、書いてそれを人の目に付くところに置く、というところで一応目的を達成している。露出狂の人みたいである。深夜裸で道を歩いていて、もしこんなところを人に見つかったらどうしよう、というスリルで一杯なのか。
うーん、そうかもしれん。なにやら変態チック。
茨城県東海村のウラン加工施設で放射能漏れ事故が起こり、3人が被爆したそうだ。
施設から350m以内の住人は念のため避難、10km以内の住人は家の中から出ないよう勧告が出たらしい。日本の原子力事故としては最悪、ということだ。
現地の人たちの心痛はいかばかりのものか。突然降ってわいた災害に、冗談じゃない、と強い怒りを覚える人もいるのではないだろうか。
しかし、他人の痛みは千年生きてもわかんねー。
いかにも現地の人を気遣うような文章を書いてても、しょせん隣町の火事を安全なところから眺めてるのとおんなじだ。
でも、ひとつだけ「冗談じゃねー」という感情を俺が共感することがあるとすれば、それは。
俺の町、隣町に原発あるんスよ。
うちの店、入口から原発がバッチリ見えるくらい近いんスよ。
こっちは本当に大丈夫なのか、クソッタレ、と思っちゃうのは仕方ねーよ。
原発では起こり得ない事故だ、
とすぐに原発を管理する中部電力がコメントを出したらしいんだが、そんなこと言ったってわからねーからな。
俺は原発反対派じゃないんだが、どうもいまいち信用できねー。
このやるせなさをどこにぶつけたらいーの、って感じだ。Fuckin' 科学技術庁!
ニュースの中で、5歳くらいの女の子にマイクのような放射能測定器を近づけて、放射能を浴びていないか測定してる場面が映った。
昭和29年に公開された映画「ゴジラ」の中で、全く同じ場面があったのを思い出す。
もっとも、映画の方ではその後、測定した初老の医師が沈痛な面持ちで首を振った。
水爆実験の放射能を浴びて200万年の眠りから醒めた大怪獣は、自らも口から放射能を吐きながら東京を火の海にした。
人間が作り出した原子力施設を、怪獣にしちゃいかんだろ、ああ?